昨日の手紙の件です。
「読んだ?」
と聞かれたので、「うん」と言ったものの、感想がその場で言えませんでした。
「もうちょっと待って」と言ったら、
「手紙にしたほうがいいかもね」と母。
その場では終わりました。
自分はその感想を求められるまで、2つの心で悩んでいました。
「なんでも教えて下さい。」とか「何か私がしたでしょうか?」「許してください」というのを言葉通り信じていいのだろうかという心。
これは歩み寄りのお手紙なんだろうかという心。
それとも、これは予定調和で「手紙を書いている自分に酔って当然娘が改心するもの」と思い込んでいるのだろうという心。
その感想を求められた時、心は後者に比重を傾けました。
大変卑屈な心ではありますが。
その後外出してメールを母宛てに書きました。
約4000字。
「手紙への感謝。
上記のように信じることが出来ないということ。
自分を解って欲しい、自分がウチが大変だからと何度となくあったセリフは、前々から重々理解しようとし、その様に行動していたということ。
またこれ以上解って欲しいというのはもう飽和状態なので押しつぶされそうなこと。だから時間を下さいということ。
大変だからというのは解るが、自分にとってはここ最近の言動は幾ら大変だからといって、我を失っているからと言って許せない類のものが含まれていたこと。
自分が避けられていると言う風に感じるとしたら、それは私が母親の感情の起伏を恐れ、そのヒステリーとも言うべき不合理さに怯えているからということ。
長期的に見守っていてください。」
ってな感じです。
一応珍しくかなりの正直ベースでした。
兎角賽は投げられたのです