今日は土用の丑の日ですね。 ――――― *大学教授ガルデン×女子高生パティで* 「土用の丑の日って、土曜日にあるんじゃないの?」 夏休みに入ったという事でいつにも増して元気なパティが、TVに向かって驚いた様な声を出す。 物憂げに経済紙を見ていた明らかに夏バテ気味のガルデンが、つられて手元から視線を移してみると。 お昼一番のニュースでか、土用の鰻を求めごったがえす老舗の和食店の内が映し出されていた。 「曜日の土曜と土旺用事の土用は違うだろう」 見ているだけであの脂っこく濃厚な匂いと味、更に込む店内の人いきれを思い出して、冴えない顔を益々ぐったりと暗くするガルデン。 覇気の無い声で言うとパティは頬を膨らまし、 「それは判ってるけど。でも去年も一昨年も、土曜日に丑の日があったんだもん」 其処にぽつりと、傍らのキッチンから低い男の声。 「昨年の土用の丑の日は7月27日、日曜日で御座いましたが……」 ……つい言ってしまった後でパティの視線に気付いたらしい。男は取り成す様に続ける。 「お、一昨年は7月20日、正真正銘土曜日で御座いました」 「……良いわよシュテル、気を遣ってくれなくて」 「は……差し出た真似、失礼致しました」 シュテルと呼ばれた偉丈夫は、でかい図体を縮めて詫びる。 今日シュテルがやってきたのには二つの理由があった。 一つは先日のガルデンの「実家」における事件の事後処理の報告。 もう一つは…… 「もう、そんな事は良いってば。それより、あれは?」 代名詞だらけの質問にシュテルははいと頷き、何かを盆に載せてキッチンから出てくる。 「わ、待ってました」 「何だ?何か頼んでいたのか」 テーブルにつき嬉しそうなパティと不思議そうなガルデンの前に、迅速且つスマートに並べられたのは藻塩の入った小皿と箸、そして…… 「……棒寿司?」 そう、どちらにも丁度良い厚みをもって切られた棒寿司だった。 四角いかわらけの皿に、ネタの魚の白さが映える。 それは生魚の透き通る様な白ではなく、焼かれた身の純然たる色だった。 ごく軽くついた焦げ目もまた、皿と同様ネタの色を引き立たせる。 「白焼き」とはよく言ったものだ。 視線を向けると、配膳係は、皿と一緒に盆から下ろした柚子の、ごくごく表面だけをやはりごくごく軽い力でおろしながら応えた。 「鱧(はも)の棒寿司です」 パティを見れば、照れ笑いを浮かべながらも待ち遠しそうな表情は隠そうともせず、 「シュテルがね、この時期の鱧は凄く美味しいからって」 「鱧は梅雨の水を飲んで旨くなりますから」 彼女の言葉に続けながら、瑞々しい柚子の皮を寿司の上にこれもごく軽く散らせ、更に目の前で櫛切りにした酢橘(すだち)を添えた。 夏の暑いさなか、冷房の効いた室内に居るとは言え(もしくは居るからこそ)、パティと違って元々薄い食欲が絶賛減退中のガルデンだったが、この柑橘類の涼しげで爽やかな香りには何かそそられるものが有ったらしい。 パティに促されるまま酢橘を搾り、小皿の藻塩をちょいと突付く様にしてから、その白い棒寿司を口に運んだ。 「……ああ」 表面はかりっと中はふんわり柔らかく、鱧と柑橘、藻塩の甘(うま)みを、見た目からは想像もつかぬほど濃厚に凝縮した……それでもあくまで爽やかな鱧寿司を、ぎゅっと噛み締め嚥下し、確かに美味い、と驚いた様に呟いて。 此処暫く食事の度に目に浮かべていた、何とも言えない暗い色を綺麗に消して、二切れ目を取るガルデン。 それを見て安心した様に、傍らに立つ男へ目配せするパティ。 男はほんの僅か視線を緩め、パティもまた美味しいと喜んで食べ始めたのに小さく笑って、盆を持ってキッチンに戻った。 今回も、そもそもの発端はパティの問い。 「夏バテ気味のひとに、何か良い食べ物は無い?」 21日にそちらにお邪魔するとの連絡を入れた、電話の向こうからの切実な声。 「最近、凄く暑いでしょ」 其処まで聞けば、誰がどう夏バテで弱っているのか想像は容易い。 元々脂っこいものは(昔に比べて幾分ましになったとは言え)嗜好より外しているお方。 土用だから夏だからと、鰻の蒲焼など出そうものなら引き攣った顔で辞退して、代わりに胃薬など要求なさるかも知れぬ。 かと言ってそれを放っておけば、益々事態は悪化の一途、パティ嬢との生活の中で人並みに戻った食欲も、嘗ての様な善くない状態に戻りかねない。 「ねえシュテル、良いアイデア、ある?」 独りで居るときは殆ど揺らさぬ思考をぐるりと一巡りさせて、シュテルはいつもの如く主の大切な女性に応えた。 「御安心下さい、パティ嬢。全てこのシュテルにお任せを」 「……でも、まさか鱧を持ってくるとは思わなかったわ。 夏ばてって言ったら、やっぱり鰻とかかなって思ってたの」 並べられたとりどりの副菜にも頬をほころばせながら言うパティ。 それに、鱧寿司で弾みがついたのか久方振りにまともな食事をしている主へと、こちらは椀物や小鉢を一品ずつ出しながら答えるシュテル。 「鱧も鰻も、胴が長いのは同じで御座いましょう」 そう大した違いは御座いませぬ、と澄まして言うのに、どうやら自分の夏ばての為にこうなったらしいと理解して青年は苦笑した。 「……鱧も、あの鋭い歯で蟹や海老を食べたり釣り人に噛み付いたりと、大した生命力であるそうだからな。鰻に似ているのは胴が長い事だけでなく、その栄養もなのだろう」 気を遣わせてしまって済まない、と詫びる彼に、パティは「そんな事は良いから」と食事の続きを勧め、 「そう言えば……ガルデンの叔父様は夏ばてしていないのかしら?」 と呟く。 ガルデンの叔父とは先日ごたごたがあった「実家」の現当主、青みがかった銀髪と蒼い目が、涼しげを通り越してひんやりとした「一族の長」の事であるが。 「お館様なら、先日『夏に良い食物は無いか』と言ってらしたので、まむしを料理してお出ししました」 シュテルが淡々と答えたのに、パティとガルデンは顔を見合わせる。 「まむしって……鰻ご飯の事?」 「いえ、まむしです。有鱗目クサリヘビ科の」 想像違いの余地すら無いあまりにくっきりした答えに、二人はもう一度……やや青褪めた顔を見合わせる。 それに気付いたシュテルは取り成す様に、 「胴が長いのは同じで御座いましょう」 と、取り返しのつきにくい弁明をするのだった。 ――――― 「先日のガルデンの「実家」における事件」と話に出ていますが、これは未だUPしていません。 説明不足で申し訳ない。 ――――― 「ところでこの寿司、昔何処かで食べた気がするのだが……」 「『飛鳥(あすか)』の寿司で御座います」 「何、あの料亭『百道(ももち)』の直系のか」 「何でも行方知れずだった後継者を、先日婚約者が発見して連れ戻したらしく。 長らく休んでいたのを返上して、今では雑誌取材の依頼が舞い込むほどの繁盛振りだそうです」 「……後継者……あいつか。……胸騒ぎがするな」 「嵐にならなければ良いのですが」
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