GARTERGUNS’雑記帳

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お題021
2004年06月24日(木)

021:はさみ


沢山ある中からひとつひとつ手にとって、しょきん、と一番小気味良い音を立てるものを選ぶ。
選び終えたら、その刃に曇りや傷が無いのを確かめて、腰のホルダーに収めて。

「ガルデン様」
「ああ」

随分熱心に得物を選んでいたシュテルに呼ばれた主は、手にしていた機関誌を床に落として、一度ぶるりと首を振ってから、

「頼む」

と一言仰った。
恭しく礼をしてから下僕は、黒のさらさらしたケープを、目前の椅子に掛けた主に着せ付ける。

「今回はどの様に……」
「前と同じだ。
 いや……もう暑いからな、偶にはもっと短くするのも良いか。まあ、適当で良い」
「畏まりました」

主のアバウトなオーダーにも律儀に頷き、まずシュテルは傍のワゴンから硝子製の霧吹きを取った。



ガルデン一族の長の調髪は、現在その一番の下僕たるシュテルに一任されていた。
ふたりは月に一度か二度、月のひとつが満ちるのと同じ位の頻度で、専用の部屋にてそれを行っている。



少し長く伸びた髪に霧を掛け、濡らして櫛を通し解す。
普段は逆立って後ろに流れているそれが、真っ直ぐ肩に落ちかかっているのを見る事が出来るのは、今となっては彼の入浴後の僅かな時間とこの調髪中くらいのものである。
しかも、誰でも見られるというものでもない。

「…………」

小さな、しかし確かな喜びが下僕の胸を打つ。

しょきん。

水分を帯びて磨きたての剣の様な輝きを放つ髪に、はさみを入れてゆく。
黒いケープに落ちて映える、硬質の銀の欠片。
無骨な指先に触れる冷たい流れ、しなやかで滑らかで、こんな己でも陶然となるその感触。

しょきん、しょきん。

流れから零れ落ちる雫に、美しいが勿体無いと嘆息しそうになりながら、シュテルは調髪を続ける。
主はそんな下僕にも気を向けず、前に立て掛けられた姿見の中、じっと目を閉じている。
前髪が鬱陶しいのかも知れない。それとも日頃の激務で疲れた心身を休めていらっしゃるのか。
無防備な主とふたりきりの部屋に響くはさみの音。

しょきん。

この音は下僕が主を独占しているという、幸福のあかしであったけれど。
同時にその幸福な時間をじわじわと切り取ってゆく、終わりの足音でもあった。
……主の髪は徐々に短くなってゆく。



「お前、私の髪を切る事が出来るか」

最初にそう訊かれたのはいつだったか。
主が正式に「一族の長」を名乗り、剣聖剣邪両の世界の闇の者に知られ始めた頃……
主の名前が公私共に正しく「ガルデン」になった頃。

「今までは一族内で器用な奴に適当にやらせていたが」

落ちてくる前髪を後ろに撫で付け、どうという事は無いものごとを話す調子で……実際彼にはそう大した事ではなかったのかも知れない……主は下僕に言った。

「どうも散髪をしている時というのは、入浴・睡眠時と同じく無防備になり易い。
 しかも近頃周囲がきな臭いであろう。いつ誰が私の命を狙ってくるか判らん。そんな時に、今まで同様器用さがとりえの者に、無防備な状態の自分を任せるのは少々気が退けてな。
 されど髪はそんな事情に関わり無く伸びてくるし」

そして、

「お前なら、何か有ったとしてもその力で対応出来るだろうから尋ねるのだが。
 私の調髪を担当する気はないか」



……畏れ多い、と思ったし、自分がそういった細事には不器用である事も知っていたけれど。
それでも、こんな自分を有り難くも信頼して下さっているのに応えたかったし、それに……

「無理なら、他の者をあたるが」
「いえ、……大丈夫です、やります」

……他の者にこんな素晴らしいお役目を奪われるのは悔しかったから、「お任せ下さい」と答えたのだったっけ。

しょきん。

最初は緊張の余り巧くこの音が鳴らなくて、軋んだ嫌な音を立ててしまって。

しょきん。

左右の長さが違ってしまったり……それを揃える為に切り過ぎたり。

しょきん。

頭の中で「こうすれば上手に仕上がる」と計算し方法を組み立てても、中々完璧に実行出来なかった。
今だって……ほんの些細なきっかけで、手元がぶれてしまう事が―――――

「―――――」

ふと、目を閉じていた筈の主と、姿見の中で目が合った。
それだけの事でシュテルは、

がしゃん

「あ」

手を滑らせはさみを床に落としてしまった。
静かな部屋に耳障りな金属音。

「も、申し訳御座いません」

動揺しきりに慌てて詫びて、はさみを拾おうと屈み込む下僕。
それに主は軽く欠伸をしながら、何の気も無さそうに言葉を投げる。

「焦って刃の方を掴むなよ。怪我をされたらかなわん」
「―――――」

床で光るはさみ。
切れ味鋭いその刃物は、確かに、取り扱いを間違えれば(シュテルの様なものでも)怪我をする……

―――今までずっと何の気なしに使ってきたが、これはひょっとして、とても危険なものなのではないか。

拾ってワゴンの使用済み櫛の類と同じケースに入れ、それから新しいはさみを取ってシュテルは、

「…………」

何となく恐くなって、また目を閉じている主を見詰めた。
髪を切っている最中に手が滑ったら、この刃は容易くこの方の肌や肉、血管を傷付ける。
そんな事はこれまで幸いにして無かったが、これからも無いとは言い切れない……

「……何をしている?」

いつまで経っても調髪が再開されないのに、片目を薄く開けて様子を伺う主。
それに下僕が、今更に抱いた恐怖の事を話すと、

「だったら、手を滑らせなければ良いだろう……」

そんな事か、といった様子で呟いた。それからまた目を閉じ、背凭れに重心を預けて

「お前は、私を傷付けようとして鋏や剣、槍を手にする訳ではあるまい」

と続け、口を閉じた。

……しょきん。

「……あの」

しょきん。

「もしや、わたしを調髪用に選んで下さったのは……」

しょきん。

「……わたしがあなた様を傷付ける事はないと、信じて下さって……」

返事は無かった。
ただ、静かな寝息だけがはさみの音に混じる。
刃物を持った自分の側で眠る、極めて無防備な主に

「……有難う御座います……」

ただ呟き、胸に込み上げる何かを噛み締めて、下僕はひたすらはさみを動かした。


しょきん。




目を覚ました主はまず伸びをし、姿見の中の自分を見遣り、乾き軽くなった髪を振った。
跳ねる銀に眩しそうに目を細める下僕。

「少し短めにしたのだな。まあこんなものだろう。
 ご苦労」
「勿体無いお言葉です」

主の言葉にようやく緊張を解き、腰のホルダーを外した。
その間に主は、椅子から立ち上がって懐を探り、一枚の金貨を取り出す。

「手間賃だ」

前の担当者にはそうしていたからと、毎回渡されるそれを最初の頃は拒もうともしたが、結局押し切られて受け取らざるを得なくなるので、最近は素直に頂くようにしている。

「申し訳御座いません」

掌に丸い重みを受け取った所で、主とのふたりきりの時間は終わる。
彼には彼の、自分には自分の仕事があるので、いつまでも残念がっている訳にはいかないのだけれど。
先に出て行く主を見送り、部屋の後片付けをしながら考える。
……せめて共に過ごせる時間が安らかである様に、このコインで新しいはさみを買ってこようか。
切れ味だけでなく、この手にももっと使い易い、滑らないはさみ。

けれど。

綺麗に洗浄したはさみの数々を整理しながら、ふっと気付く。

使い勝手が良いはさみを買えば、それだけ作業効率は上がり、掛かる時間も短くなる。
それはつまり、主とふたりきりのこの時間も縮められるという訳で。

物事は中々、はさみの刃の様に巧くは組み合わされない。

主の髪の色にそっくりな輝きを放つはさみを手に取り、その造形に己の苦笑を映して、下僕は嘆息した。

しょきん。


―――――

殆ど身動きの取れない状態で、はさみや剃刀を持った人に全てを委ねて時にはうたたねまでしてしまう、美容院や床屋は本当に不思議な空間だと思います。
そして漫画版の主従はガルデンが余りにも強すぎると思う。推奨はガルシュなのか。(2・3巻を読みながら)

次回はアデュガルが書きたい。



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