とある森の奥深く、人も通わぬ地に建てられた屋敷の地下には、古今東西の様々な魔法具(マジックアイテム)を納めた蔵がある。 それは屋敷共々、長らく封印されてあったのだが。 「…………」 実に二百余年ぶりに戻ってきた屋敷の住人…今では正式な「家主」…は、其処の封印を解き放ち、停まっていた時間をほどいて、日々、陽にも目にも触れる事無く眠っていた書や物品を調べる仕事に精を出していた。 「私という生き物のルーツには、不明な点が多すぎる」 屋敷全体に掛けられていた魔法の効果か、二百余年前から全く変化が無いらしい(埃すら積もっていない)蔵の中を歩き回り、膨大な品々を一々見て回りながら、家主たる青年・ガルデンが呟く。 「邪竜族とガルデン一族の間に生まれたと言うが、その『ガルデン一族』の真の姿だって、私は知りはしないのだ」 彼が求めているのはもっぱら己の出自に関わりが有りそうな物ばかりで、中央大陸の魔法ギルドが見れば涎を垂らしそうな貴重品の数々も、求める情報と関係が無いと判れば隅に追いやられ、雑多に積んで置かれていった。 「ガルデン様、調べものに焦りは禁物です」 そんな主の様子を見ながら、今にも倒壊しそうな「不用品」の塔を片付け整理してゆく下僕が一人。 彼は「塔」の中にも主の求めるものが混ざっていないか調べてから、それを元あった場所へ戻している。 「シュテル、そんな事をしたら何処まで見たか判らなくなる」 「わたしが覚えておりますので心配なさらず」 「……そうか。 ……覚えていると言えば、お前は私について、何か知っていたり覚えている事は無いのか? 例えば私が生まれる前とか」 古くから生きているんだろう、と問われた下僕…シュテルは、手を止めて主に向き直り 「お答えしたいのは山々なのですが、わたしは……初めてあなた様に召喚して頂いた時より以前の記憶が、どうも抜け落ちてしまっている様なのです。 恐らくあの魔女によるドゥームとの融合の際に、誤って記録回路を破損したか……もしくは意図的に破壊されたものと思われます」 近頃少しずつ剣薄明期の頃の記憶は回復してきているのですが、と申し訳無さそうに答えた。 「そうか……」 主は少し残念そうな顔をしたが、責めたりはせず、 「記憶が回復するという事もあるのだな?」 と問いを重ねる。 「確たる事は申し上げられませんが、わたしの場合はそういう事も」 「有る、のだな?」 「はい」 「そうか」 話が一段落した所で、調べものに戻る主。その、何処となく明るくなった表情と、手に取った「関係」が余り無さそうな魔道書に首を傾げつつも、下僕は止めていた片付けを再開した。 020:合わせ鏡 夜。 夕食を終えたガルデンは、従者が洗い物をしている間に、一人こっそりと蔵に戻ってきた。 暗い中に薄明るい魔法の光球を放った彼は、元あった通り綺麗に整理された品々の中から或るものを探して取り出す。 鏡だ。 金(に良く似た魔法金属)の細工が繊細に周りを取り巻くそれには一点の曇りも無く、景色を左右逆しまに「正しく」映し出している。 やはり細かく綺麗な細工がしてある背面には足が付いていて、手で支えたりせずとも平らな場所に置いておける様になっていた。 「あのまま積んで放っていたら、また探すのに随分苦労しただろうな」 ガルデンは手頃な高さの棚にそれを置き、見るのに支障が無いのを確認すると、 「…………」 自分の背後の古めかしいクローゼットを開け放った。 魔導用の貴重な衣類や布を納めた箱の、その大きな戸の内側には、やはり鏡が張ってある。 その鏡と先の綺麗な鏡で合わせ鏡を作り、はざまの空間に立つガルデン。 覗き込めば幾重にもなった世界の中、見慣れた自分の顔が映り込んでいる。 「もし私に、私が忘れてしまった『記憶』が残っているのなら」 自分の瞳を見詰め、調べたばかりの呪言を呟く。 「平らな鏡の奥の奥、果てなく重なる空間の、見えぬものまで見通せば、吾が内に潜むものごとの、知らぬ事をも思い出し、全ては澄んで静まらん」 瞬間、白い光が鏡面から放射された。 ……思わず閉じた目を開いてみると、其処にはやはり変わらぬ自分の顔。 別段変わった事は無い。 「……この鏡は、如何なるものをも見通す魔鏡ではなかったのか?」 鏡を取り巻く細工の中に紛れ込んでいる魔法文字をなぞりながら、ガルデンは少々落胆した様子で言った。 シュテルの様に失った記憶を思い出せるならと、折角この鏡を発動させる呪言まで調べたというのに。無駄な事をしてしまった。 と。 「―――――いかにも、これは全てを見通し知らしめる魔鏡『ティタン・ミロワール』だ」 鏡の中の自分が、独りでに喋った。 いや――― 「……!」 はっと口を押さえるガルデン。 鏡の中でも左右逆の、同じ光景が映し出されているが。 「何を驚いている?これがお前の望んだことであろう」 押さえた口の下から零れる言葉。己の意思に拠らず、それは続く。 「お前はこの鏡を介し、己の奥の奥を探った。私はお前の知らないお前、お前の忘れてしまったお前、お前が目を背けているお前」 ガルデンは愕然とした。見詰める鏡の中で、映りこむ自分の口が勝手に動く――――― 「お前の知りたい事を、私は知っている。 何が聞きたい?己のルーツか? 違うだろう。本当にお前が知りたいのは、親やその血族の事ではなく…… 自分が何の為に、どんな役目をもつ者として、この世界に生かされているのか……」 「……やめろ」 無理矢理口を閉じ、息を吸って、「自分の言葉」を吐き出す。 が、それに「彼」は薄い笑みを浮かべ。 「恐いのか?お前が此処にいる理由は無いと、『リュー使い』や『闇の一族の末裔』といった肩書きを取り払ったらお前には存在価値は無いと、気付いてしまうのが恐ろしいのか?」 「やめろっ!」 拳を振り上げるが、映る自分の顔は相変わらず殆ど優しい笑みに支配されていて。 「お前は自分を嫌っている。鏡の中の私……『逆さま』な私はこんなにも自分の事が好きなのにな。 一族の過去にも、持つ力にも、従えるリューにさえべっとりと血の匂いがついていて、何も誇れる事が無く、今や大した望みも目標も無く、己の内はからっぽだと、そう思っている。 そんな自分がとても嫌いだと……」 「………っ」 「本当は他のリュー使い達……『私』からすれば虫唾が走る奴等の様に、もっと色んな事を信じて前に進んでみたいのに……自分の立っている場所さえ判らず、前も後ろも覚束ない状態ではとてもそんな事は出来ない、と、心の奥で絶望している」 「違う、私は……」 「そんなお前が命を掛けた『この世界を救う』という目標だって、他人……『私』が一番嫌うあの騎士の小僧に押し着せられて従ったものだろう?」 「……それは……」 「それが成し遂げられた時、お前には何も残らなかった。 『無知の知』とでも言おうか。己が何も知らず持たぬという事だけだっただろう、お前の中に残った確かな事実は」 「………、………」 「自分ひとりでは何も出来ない、自分自身を信じられない、そんな弱いお前だから、己の出自に拘り其処に幾らかの目標と価値を見出そうとしているのだ」 独りでに話す口を押さえ抗う気力さえ無くなったのか、ガルデンはただぼうと鏡を見詰めている。 其処に映る瞳は不思議な事に、次第に蒼みを帯びていき、見入るガルデンを益々深く縛り引き込んでいく。 「『私』は悔しい。お前がそんな風に、己に自信を持てずにいる事が。 下らぬしがらみに縛られ、剣聖界の型に嵌め込まれて、息をする事も出来ずに苦しんでいるその状況が。 『私』はお前の事が好きだから」 優しい、全てを許す慈愛に満ちた声音。 「お前を助けたい。お前はこんなにも力があるのだと、それは誇れる事なのだと、他者に知らしめてやりたい。 あの騎士の小僧の隣に立つ事に、何の遠慮も要らないのだと教えてやりたい―――――」 「そんな事が―――――」 「それがお前の望みなら」 独りでに、指が冷たい鏡面に触れる。 指先を触れ合わせた鏡の中と外のガルデンは、吐息が掛かるほどの距離で呟いた。 「ひとつに還ろう、もう一人の『私』。 お前は余りに悩みすぎた。 傷付き、疲れ、奪われすぎた。 これからはお前が『私』の中で、ゆっくりと休むと良い……」 子守唄に似た言葉に誘われ、ガルデンは鏡の中の自分に口付けを――――― バタン。 「!!」 突如目の前から『自分』が消え、ガルデンは我に返った。 ふっと見上げればシュテルが居る。その手の下には、伏せられた件の鏡…… 「あ……」 「これは確かに、映しこんだ者の内部を見せる魔鏡ですが」 静かで低い従者の声。 「見せるのは『記憶』や『真実』などではありません。 見る者がそうと思っている自分……極めて主観的な『自己』」 「自己……?」 「あなた様自身が思い描いている『自分』。 『願望』や『恐怖』と言った方が宜しいでしょうか。 其処には当然『自己嫌悪』や『思い込み』も混ざります」 「……それでは、あれは……」 じわりと額に滲んできた嫌な汗を拭い、俯く。 「……私は、あれ程までに自分を嫌っていたのか……」 ぐったりした様子の主に、シュテルは淡々と言う。 「合わせ鏡は、何の事は無いものをも深く果てなく見せる仕組み。 それが本当に根深い『自己嫌悪』の類であるならば尚更」 「…………」 「失礼ながら、あなた様は暗示の類に、余りに感応し易い性をお持ちでいらっしゃる。 こういった事を行うのは、以後控えて頂きたく」 「判った……済まない」 最早口答えをする気も無く、ガルデンは素直に頷いた。 そして視線を上げると、何時の間にかシュテルが此方を見詰めている。 「……何……だ?」 「今日はもうお休みになって」 「あ……」 「そして今起きた全ての事を忘れて下さい」 赤い無機質な目に映し込まれた、自分の目。 其処に映る従者、その目に映る自分の目――――― 「……ぅ……」 「………お休みなさいませ」 ふっと意識を失って倒れた主を抱き止め、その呼吸が正常な寝息であるのを確かめて、シュテルは息をつく。 そして棚の上に放り出されたままの、ぬめった様な光を放つ魔鏡を見遣り…… 「……………」 その鏡面に、拳を振り下ろした。 全てを見通す「神々のレンズ」たる湖の辺(ほとり)で、暫し瞑想に耽っていた主が急に笑い出したのに、下僕は驚いて傍に寄った。 「どうかなさいましたか、我が主」 「いや、何……少々退屈だったのでな、睨めっこをしていたのさ」 目の端に涙さえ浮かべて笑っている、己が主人にして嘗て魔の一族の長と恐れられた男。 その滅多に無い姿と意味の判らない答えに、下僕はいつもの如く戸惑うばかりだった。 ――――― 「文字書きさんに100のお題」配布元:Project SIGN[ef]F様 ――――― OVA九巻の「ティタン・コルヌ」の「コルヌ」はフランス語で角という意味。これが転じて「コーン」(カプリコーンとか、工事現場のコーンとか)になったとか。 カッコいいネーミングです。 そして相変わらずダメっ子エルフなガルデン。残り80題だぞ、どうするんだ。嗚呼。
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