「落ち着いて下さい、ガルデン様」 「黙れシュテル!!」 怒り狂う主を宥めながら、シュテルは心のどこかで、またか、と嘆息する。 それは主に対してのものでなく、主をこうまで惑乱させるものに対しての怒りと苛立ちと言って良かった。 ……今日は、皿が何枚割れるだろう? 010:トランキライザー 主がこうして怒りの発作を起こす様になったのは、此処……大ミスト鉱脈を擁するヒマリー山脈の麓の森に居を構えてから。 正確には、此処に度々あの男が訪ねてくる様になってから。 ……主は此処で、アースティア中の「闇」を見張る仕事をしている。 「闇」に属するものは元来、「聖」「光」の大地であるこのアースティアに於いては、その存在・力を制限される筈である。 しかしあの邪竜族の侵攻以降、「闇」の活動は僅かずつ…しかし確実に活発になってきていた。 それが何を表し、もたらすのかは判らない。 災いか、幸いか、あるいは何も為さず元の状態に戻るのかも知れない。 「何にせよ、見過ごすべきではない」 そう判断した大賢者と白竜は、この世界で最も強い「闇」を持つ者に「同族」の監視を依頼した。 「お前達としては私という『闇』も監視下に置きたいのだろうし、断っても仕方が無いのだろう」 何時の間にか「諦め」という技術を会得していた主は、そう言って依頼を受け……今、こうして此処にいる。 「ガルデン様、」 「煩い!!」 人も通わぬ森林の奥に、怒声が響き渡る。 次いで何かが砕ける音。 「動いてはいけませんガルデン様、怪我をします」 「私に指図するな!!」 監視の為の広大な地下施設を備えているとは誰も思わぬ、ありふれた小屋の一室。 少し前まで厨房だった其処は、散乱する陶器の破片や壊れた家具で、今や見る影も無い。 床は水浸し、壁にはナイフが突き刺さり、どんな粗暴な強盗でも此処まではすまいという有様だ。 その惨状の中央に立つシュテルの主は、強盗など比較にならぬ程の凶暴さを剥き出しにした目で、正面に立つ下僕を睨んだ。 「いちいち私に構うな!」 「そうはいきません」 「私の命令が聞けないのか?!」 「無論絶対服従ですが、聞く事であなた様の身に危険が及ぶ場合はその限りではありません」 淡々と返す。と、理屈を捏ねるなと皿が飛んできた。 僅かに首を傾げて躱す。背後で皿が皿でなくなる甲高い音。 (……頃合か) 今の皿を最後に、凶器となるものが無くなったのを確認したシュテルは、 「失礼します」 「!!?」 次の瞬間主の無防備な背後に現れ、彼を抱き締めて身動きを封じた。 「や、やめろ!!離せ!!」 「無礼非礼は承知しております。後で幾らでも懲罰は受けましょう」 手負いの猫の様に尚暴れる主を、手加減抜きで押さえつける。 腕の内から伝わる荒れ狂う闇の気配。 主はこの世界で最も強い「闇」を持つ者。 故に監視者となり、同時に白竜達から監視される身になったというのに。 それなのにあの男はやってきた。 「闇」を増長させる「光」、ウォルサム家の嫡男―――――聖騎士のリュー使い。 何を思って此処に来るのか、そもそもどうやって此処を突き止めたのかは知らない。 毎回小さな手土産……それは桃色の貝殻であるとか、砕いた半貴石を入れた万華鏡であるとかの、随分子供っぽい贈り物……を持って、実に気軽に、まるで此処が自分の家であるかの様に踏み込んでくるあの男。 あれと接触する度に、主は己の中の闇を濃くしていった。 ひなたの影が濃くなる様に、光に近付けば近付くほど「闇」は増してゆく。 そうやって増え、育ち過ぎた「闇」はどうなるか。 主にとって「闇」は「力」そのもの。持て余された「力」は、ほんの些細な事で爆発する。 それは例えば、苛立ちとか、驚きとか、嘆きとか。 今回の場合は、水を満たしたグラスを、手を滑らせて床に落としたのが原因だった。 (……この方がこうなると、最初から知ってさえいれば) 命無き窓硝子さえ震える程の「力」をゼロ距離で受けながら、シュテルは苦虫を噛み潰した様な顔で思った。 (あの男を一度だってこの領域に入れはしなかったのに) そして、こうも思った。 (あの男が、この方のこの姿を見てさえいれば。 お前の所為でこの方が苦しむのだと、見せ付けてやる事が出来れば。 自戒を促す事も出来るのに) しかしシュテルの意に反して、主は今まで一度だって、シュテル以外の人物の前で発作を起こした事が無いのだった。 ……シュテルがそれに気付いたのは何度目かの訪問の翌々朝。 主を起こす為に入った寝室での事だった。 毛布に包まり寝台に蹲る主の姿が、まるで卵を抱いて眠る鳥の様に見えて。 ふっと魔力探知(サーチ)の目でそれを見直した瞬間、抱いているのは卵ではなく純然たる「闇」だと理解して。 「このままでは、あなた様の心身に悪影響を及ぼすおそれがあります」 あの男との接触は絶つべきです、と言ったら主は、 「彼は、様々なものや話を持ってきてくれる。私は此処から動けないが、それでも彼の冒険譚や海の貝殻で、ひととき自由になる事が出来る。 そのひとときの自由があるから、私は此処で監視を続ける事が出来るのだ」 だから会うのは止めない、と仰ったのだった。 ああ、確かに彼と短くも楽しい時間を過ごした後の主は、常の何処か虚ろで静かな表情とは打って変わって、生き生きとして瑞々しくあらせられる。 口で言う程容易くは無い「監視」という任務の重さや、同時に「監視されている」事による重圧を真正面から受け止めるのにも、彼が支えとなっている。 ……彼は主にとって、即効性を持つ「栄養剤」の様なものなのだろう。 だが、過ぎた栄養は毒になる。 ……腕の中の主が、くたりと力を失って身を凭せ掛けてきた。 同時にシュテルも力を緩め、痛みにならない程度の弱さで主を支える。 「ガルデン様……」 「あ……」 呼ぶと、未だ紅潮してはいるものの、既に理性は取り戻した表情が向けられた。 「私……は、また……」 厨房内の惨状を目の当たりにし、声音に後悔の色が滲む。 「済まない……こんなにしてしまって……お前にも」 何時の間にか切れて血が滲んでいたシュテルの頬に、手を伸ばす主。 「構いません。……お怪我はありませんか」 「ん……」 そんな主の前に跪き、伸ばされていた手を取る。 膝の下で皿の破片が更に細かくなったが、そんな事は如何でも良い。 主の白魚の様な指に怪我が無いのを確かめて――少々血の珠を孕んでいたらいたで、舐め癒せるから良かったのだけど――ほっと息をつく。 「良かった」 「…………」 「もう、大丈夫ですか」 「…………」 小さく頷く瞳には、既に狂乱の色は無い。 抱く「闇」も平常時のそれに戻っている。 「良かった」 繰り返してから、シュテルは「数々の無礼」を詫びた。 しかし主は、 「私を止める為にしてくれたのだろう」 そう言って首を振り、 「……済まない、」 呟いた。 「済まない、シュテル」 感謝する事を知らず詫びる事だけを覚えたこどもの精一杯の言葉。 それを「そう」だと知っているからシュテルは、主以外には見せない微かな笑みをもって言葉を返す。 「わたしはガルデン様の隷(しもべ)で御座います故」 主はそれで安堵した様に頷き、シュテルを立たせた。 その際にふと目に入る、夕焼け色の外の景色。 「もう夕飯時ですね」 如何致しますか、と問うシュテルに 「今日は外に食べに行こう」 久し振りに二人で町に出よう、お前も疲れているだろうし、他に買わなければならないものも有るし、皿とか、と矢継ぎ早に提案してから、主は表情を曇らせた。 「いや……監視を休んでは不味いか」 ただでさえ今日は滅茶苦茶だったし。 そう呟いて自分の考えを諦めようとする主に、シュテルは首を振って見せる。 「残念ながら、この厨房では今夜は食事を作れません」 「…………」 「外に行きましょう」 「しかし」 何か言おうとするのを聞き流し、取った手で出来るだけ破片の少ない脱出口をエスコートする。 主は未だ何か言っていたが、やがて逆らう気力が無くなったのか大人しく厨房を出た。 最初からこうしていれば良かった。 主が、あの男でなく、己の前でだけ抑え切れなくなった力を発散する理由に、 もっと早くから気付いていれば良かった。 「シュテル……」 「何でしょう」 「お前は未だ、私が彼と会うのを嫌っているのか?」 常ならぬ下僕の強引さに、主は不安を感じたらしい。 そんな事を唐突に訊かれたシュテルは、「いいえ」と首を振った。 「もう、良いのです」 監視の任務を放り出し、共に薄暮に沈む外に出る。 始めはしきりと任務サボタージュを気にしていた主だったが、下僕に引かれるまま料理店に入り、食事をし、閉まりかけの雑貨店で必要なものを購入し……と半年振りの町に触れている間に、 「……こんな風に歩くのは久し振りで……」 「はい」 「……少し、楽しい」 仕事の事を忘れていった。 その表情は、あの男に見せる様な生き生きとしたものとは違っていたけれど。 どちらかと言えば対極にある、夢見心地の様な、ぼうっとしたそれだったけれど。 「ガルデン様」 「ん……?」 「偶にこうして、仕事を休んで下さいませんか」 「…………」 「ガルデン様に休んで頂かなくては、わたしも休む事は出来ませんから」 頼むと、別に私に構わなくても、と言いながらも主は小さく笑って。 「仕方ないな……」 灯りの消えた店、点く店の先を眺めながら、諾と頷いた。 最初からこうしていれば良かった。 沢山の栄養を得たばかりに、つい力み過ぎてしまう主の負荷を減らす方法。 栄養そのものを絶つ以外の方法。 ―――――飽和状態になって爆発するより先に、その栄養を使わせてしまえば良い。 食事に、睡眠に、休息に。 緩慢と怠惰を楽しんで、入りすぎた力を抜けば良い。 「シュテルと居ると……彼と居る時とはまた違った安心感がある」 帰り道、主は少しの酒の所為で夢うつつになりながら、下僕の背で呟いた。 「彼は私に戦う為の力を与えてくれる…… お前は……私に逃げ道を作ってくれる……」 「…………」 「私はいつもお前に無理を言って、言わせて、甘えてしまうな……」 言葉の最後は、寝息に混じって消えた。 「……もっと、甘えて頂きたいのですが」 微かに苦笑して、シュテルは呟きを返す。 「あなたはひとりで何もかもを背負い込みすぎる」 ……自分に出来るのは、その背の重荷を減らす事でも、重さに耐える力を与える事でもなく、重さを忘れさせる事だけで……忘れてみた所で、その「重荷」は依然として其処にあるのだけれど。 けれど、忘却によって主が安らかな状態になるのならば、「重荷」を放置した事による弊害など、自分には何でもないし何とも思わないだろう。 「『闇』の監視を怠った所為で世界が滅ぶのが先か。 それとも心身が疲れ果て壊れるのが先か―――」 選べるのならば前者のが良い、等と考えながら下僕は、荒れた家に辿り着いた。 主を寝室に寝かせ、放っておいた厨房の片付けをせんとした所でふと笑う。 こんな時に必要なのは、栄養剤とトランキライザーのどちらだろうか、と。 ――――― 「文字書きさんに100のお題」配布元:Project SIGN[ef]F様 ――――― シュテルから見た二人。 通い夫と家政夫が激突する話を書きたいです。最初はお料理対決とかだったのが結局殴り合いになっている男二人。そして二人が喧嘩している横で、万華鏡くるくる回して遊んでいるガルデン。(それは越境不可の一線を超えてしまっているのでは) あと、シュテガルになるとガルデンが急に駄目っ子エルフになるのを何とかしたいです。文章が読み難いのも何とかしたい。 残り90題で改善されるのか。
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