TOM's Diary
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2013年07月25日(木) 戦争考

もうすぐ終戦記念日である。
その前には原爆記念日もある。
夏は戦争について考える機会が多い時期だ。


普通、人が人を殺せば殺人として裁かれる。
国の命令で殺せば裁かれない。
戦争に限らず、死刑なども同様だが。
罪もない人を巻き添えにする戦争と、犯罪者を処罰する死刑は同列には考えない方がいいだろう。

国と国が(複数の国が集まった連合国だったり、テロリスト集団が相手だったりするかもしれないが)、お互いに相手が自国民を殺すことを公認しあって、殺人兵器を使って争うのが戦争だ。国際法に基づく交戦規程などを守って争う分には法的に裁かれることは無い。

注:あえて、「お互いに相手が自国民を殺すことを公認」と書いた。解釈によっては、「お互いに相手の国民を殺すことを公認」とするべきなのかも知れないが、これは視点の違いの問題である。


昔、「正義は勝つ」と言った人が居た。
彼は中学教師だった。
中学教師の言葉とは思えなかった。
「事実太平洋戦争では日本は負けたじゃないか」

「勝った方の正義がまかり通る」ならば納得したかもしれない。
それ以来、私は彼とは音信不通を通している。
中学の教師たるもの、そのように生徒たちに教育しているのかと思うといら立ちを感じてしまうからだ。

しかし、当時の私には20年程度の人生経験から「正義は勝つ」などと言うことはありえないとぼんやりと思っていただけで、自信を持って言えるほど戦争について知っていたわけではなかった。
そこで私は、そのことをきっかけに戦争について勉強を始めた。と言っても、日本人に取って身近な太平洋戦争などの近代史と戦国時代の戦(いくさ)について、主に「どちらに正義があるのか」と言う視点で資料を読み漁ったに過ぎないが。
いずれは、なぜ「正義は勝つ」と言うことがいかに間違っているかをその中学教師に説いてやろうと思った。実際にはあれから20年近く経つが実現していないし、今となってはその気も薄れてしまったが。しかし、「正義は勝つ」についての考察の結論は出ているようで出ていない。

そもそも正義と言うのは、戦争を始めた時点では両者にある。
どちらも「相手が間違っている」と信じているからこそ、双方に大きな溝が出来てしまい、自国民の命を賭しても相手に勝ちたいと武器を手に取るのだ。
(最近は戦争を起こすことで金儲けをしようと言う国もあるようだが、それもある意味、その国にとっての正義なのかもしれない)

結果として、勝った方の正義が正しかったことになるだけだ。
世界中の世論が負けた側の正義を正しいと認めていたとしても、だ。

もっとも世界中の世論が味方をした方が勝つのが一般的かも知れない。味方が多ければ支援もたくさんもらえるだろうし、助太刀してくれる国も多くあるだろう。

だが、桶狭間の戦いのように少数精鋭の「たわけもの」織田信長が奇襲を成功させあっさりと今川を倒してしまうと言う事例もある。あんなものは信長のクーデターに等しい。
ところが、信長は勝つことで自分の正義を認めさせ日本統一成し遂げる一歩手前までいった。こころざし半ばで謀反に合い命を絶つことになるが、謀反に合うと言うことは、本当の正義ではなかったのかもしれない。
その後徳川の時代になって日本全土が平定され300年続く太平の世、江戸時代に至った礎を築くことになったなどと言われているようだが、本当にそれが正義だったのであろうか。

もしあの時今川義元が油断することなく、今川の軍勢が信長のクビを切っていたら、その後の日本がどうなっていようとも信長は「たわけ」の烙印を押されたまま終わっていただろう。ひょっとしたら日本はその後、鎖国に入らず、西洋の新しい技術や文化をどんどん取り込み、近代にいたっては、西洋の列強と肩を並べ、東南アジアを中心に世界中に植民地政策を繰り広げていたかもしれない。なんなら日本だって東の小さな島国ではなく、資源国にだってなっていたかもしれない。
やはり信長はただの「たわけ」だった可能性は否定できない。

そもそも正義なんていうものは抽象的なものなのだ。
だいたい、戦争に勝ったからどうだと言うのだ。負けたからどうだと言うのだ。
そんなことで正義がどちらにあったかなどと論じていいのだろうか。

日本は兵糧攻めに合い、資源確保による国力意地と言う正義のために、海軍左派三羽烏が指摘していた通り国力の差が大きく勝てるはずがないと判っていたはずのアメリカ相手に、やむなく太平洋戦争に突入し、当然のごとく敗戦した。
それまで散々植民地政策を推し進めてきた西洋諸国が、東の方の小さな国が植民地政策なんてまかりならんと言う正義のもとに日本を戦争に巻き込んだ結果である。
(かなり偏った見方をしています。本当はもっと複雑な事情があるのは承知の上で書いています。すみません)

いや、正確には勝てない戦ではなかったかもしれない。「半年や一年はずいぶんと暴れて見せます。しかしその後はいけません。」と言うのは山本五十六の言葉であるが、これほどまでに状況分析が出来ていた。にも拘わらず開戦当初の優勢な状況のまま戦争を終結させることが出来ず、戦争は長期化してしまった。それは日本には日本なりの正義があったからだ。引き際が大事なんて言葉はどこに忘れ去られてしまったのだろう。
やはり信長に端を発する、300年もの間つづいた太平の世が、戦(いくさ)に対する日本人の勘を鈍らせてしまったのかもしれない。やはり信長は「たわけ」だ。

しかし、敗戦したからと言って日本は簡単には負けなかった。日本人的視点に立てば、むしろ勝負はそこから始まったと言ってもいいだろう。戦勝国アメリカとうまく付き合い、その後の経済戦争ではアメリカの主要産業である自動車会社を窮地にまで押しやった。正義はどちらにあったのであろうか。信長の正義は正しかったのかもしれない。


Nobody Wins A War.(戦争では誰も勝たない)

数年前に、たまたま、どこかのブログで見つけた言葉である。2、3年前だったろうか。気に入った言葉だったのでメモをしておいた。
サイト名までは覚えていなかったが「知の関節技」と言う言葉が一緒にメモされてみたので検索してみると見つかった。

知の関節技

もう、8年も前に書かれたものだった。
その時点で20年前と書かれているので、ざっと30年くらい前にニューヨークのホテルのメイドが言った言葉のようだ。

この言葉のすごいところは、太平洋戦争やその後の多くの戦争で闘い、うやむやで終わってしまった戦争もあったが、基本的に負け知らずのアメリカのホテルのメイドの発言であることだ。「正義は勝つ」などと言わないところもすごい。

こんな視点を持ったメイドが居る国に、日本は勝てるわけがない。

結局「Nobody Wins A War.」と言う言葉はとても核心を付いているのかもしれない。


ところで、世間では憲法改正議論が進んでいる。
自民党の平成24年度版の憲法改正案を読んだが、「国権の発動としての戦争は放棄する」そうだが、国防軍を保持することや、緊急事態宣言がなされた場合、内閣が法律と同等の効力を持った政令を発することができるそうだ。
つまり、一度中国が尖閣諸島に軍隊を送り込めば緊急事態宣言を出すことによって、内閣の一存でなんでも出来てしまうとも言えるわけだ。「諸悪の根源である北京からつぶせ」なんてことも不可能ではない。
なんなら、尖閣諸島に中国軍がやってくるように裏で諜報活動を行なった上での緊急事態宣言だって出しかねない。
素人の私が素人目に見て、素人なりの解釈で「こりゃなんでもやり放題?」と思えるような改正案を振りかざして今回の普通選挙に勝ち、国会のねじれを解消したのだから、これが日本の正義なのだろうと思うしかないのだろうか。
しかし、なぜこれだけ大掛かりな憲法改正を、今やらなければならないのだろう。その理由がどうもあいまいにぼやかされているような気がする。そもそも報道を見ていても憲法改正の内容に深く突っ込んだものは、結局見なかった気がする。一部の新聞が少し突っ込んだ内容の報道をしたと言う話は聞くのだが。
なんでも判りやすく解説してくれる、池上さんあたりが特集番組で解説してくれても良さそうなものだが。大掛かりすぎて2時間や3時間の特番くらいでは解説しきれない内容なのかもしれないが・・・

今年の夏は例年になく、戦争についてじっくり考える夏になりそうな気がする。

「正義は勝つ」についての考察もそろそろ結論を出さなければ。



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