TOM's Diary
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S氏が驚いたのは、S氏の兄が突然尋ねてきたからではない。 S氏に兄がいた事に驚いたのだった。
S氏の記憶の中には兄は存在しない。 しかし、歳の離れた兄がいると言う話を幼いころに聞いたことが あるような気がするだけである。しかも、その話は、そういう 物語を自分のことのように思っただけのように感じていた。 いずれにしても、S氏の記憶の奥深くに埋もれた話であり、兄が 尋ねてくるまですっかり忘れていたのであった。
その時S氏はいつものように、広大なリビングルームの中心に おいた椅子に腰掛け、壁一面ガラス張りの窓から、絵に描いた ような自慢の庭を眺めていた。BGMにはバッハを選び、とても 優雅な気分で休日の午後を楽しんでいた。
ガラス面に表示が現れたのは、S氏がうとうとしかけたときだった。 S氏のリビングルームの窓ガラスには、飛行機のヘッドアップディス プレーのように、さまざまな情報が表示できるようになっている。
最初の表示は、ゲート前に何者かが近づいたと言う記号であった。 すぐにそれが人間であることが表示された。もし、それが野良猫や 野良犬であれば内部に侵入してこない限りそれ以上の表示はないの であるが、人間であると判断できれば表示が切り替わることになる。 カメラが自動的に画像解析し、その人物がS氏の知り合いであれば、 カメラの画像が表示され、S氏はだれが尋ねてきたか判ることになる。 しかしカメラは切り替わらなかった。つまりS氏の知り合いでは ないようだ。
カメラはその人物がS氏の知り合いでないことが判明してから2分 以内に呼び鈴が押されなければ不審人物として室内に警報が鳴り ゲート前様子が録画されることになるのだが、だが、その人物は 30秒ほどで呼び鈴をならした。おそらく表札を確認していたのだろう。 S氏は手動でカメラ画像を表示させた。
そこにいたのはなんと自分であった。
いや、正確にはS氏の兄なのだが、その時点ではS氏は兄の存在を 知らなかった。そのためS氏は間違って録画された映像が表示された のかと思い、端末を操作したが間違いは無いようだった。 なにしろ、監視カメラの画像である。画質はそれほど良くない。 自分と同じような顔つきで同じような髪型でしかも同じようなセンス の服装をしていれば、思わず自分だと思ってしまうのも無理は無い だろうと考えた。なにしろ、カメラが画像解析を行った結果S氏が 帰宅したのだと判断されれば自動的にゲートが開くようになっている。 しかし、開かなかったということは、監視カメラ越しにはそっくりだが 実物はそれほど似てはいないのだろう。
S氏はインターホン越しに用件を尋ねた。 「私はあなたの兄で、あなたに会いに来ました」 そういわれてS氏は驚いたのだった。
兄?
そう、S氏は自分に兄がいるとは思っていなかったからだ。 S氏はリモートコントロールでゲートを開けた。 そして、玄関に走った。 S氏の兄はゲートからゆっくりとこちらに向かって歩いてきている。 まだ遠くてはっきりとは顔が見えないが、S氏は自分の兄がどんな 人物なのか早く間近で見てみたかった。いや、それよりもこれが 本当にS氏の兄なのか確認したかったと言った方が正しいかもしれない。 いずれにしても期待と不安が錯綜し複雑な気分であった。
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