先輩の葬儀に出席して。
お経を聞いて 「人の死は、誰にでも平等にある」とは頭ではわかっている。
けれど 昨日生きていたから、今日も多分生きてる。 今日、生きていられたから、明日も多分、生きている。
明日も、生きていられるだろうから、来月も、その次も…
繰り返すと、自分の命が、ひょっとしたら永遠にあるのかも、そう思えてくる。
けれど 自分だってひょっとしたら、明日、向こうにいるかもしれない。
そう思うと、一生懸命生きようと思う。
少なくとも、自業自得で死ぬようなまねはしたくない。
関係無いが、先輩にはまだおじいさんもおばあさんも健在だった。 この上ない悲しみなんだろうな、孫の葬式って。そう思った。
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