Leaflets of the Rikyu Rat
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2006年01月19日(木) boundary personnel (補記)

ミスとトラブルとは全くの別物であって、ミスによってトラブルが引き起こされはしてもトラブルの全てがミスによって生じたものでは無い。ミスとは人為的なものであり、トラブルとは人災と天災との両方を包括して言うものだ。何が言いたいのかというと、ミスをミスと認めずにトラブルだと言い張る人間が僕は好きでは無かったし、けれど医者という職業柄ミスをミスだと認めることが致命的な事態を引き起こし得る限りミスをミスだと認めることは非常に難しい訳で、従って僕の好みと医者と言う職業性は真っ向から相反するものであるということだ。どんな職業・どんな人間であったとしてもミスをミスだと認めることは難しいかもしれない。けれど「ひと」を扱う職業の人間がそうあることはどうしても僕にとって許しがたいことだった。と、書いてみてから僕はなんだか妙に偽善に塗れているのではないかとふと思った。なんなんだこのおかしな正義感ぶった思考回路。どうなっているんだ。ここで何か決定的な違和感がどかーん。まるで火山が爆発したみたいに。つまりこうして(補記)なんて称して「僕が何故あれほど驚かなければならなかったか」を書こうと思いキーボードを打っていたのだけど、「僕は自分自身のテリトリーの中は何よりも大事なものが詰まってるから何人たりとも入れさせない、その枠外のことはどうでもいい」なんて書いた先日の記述と、今上に記したばかりの「にんげん様を杜撰に扱うなや医者どもメ」と言う記述とが見事なまでにダブルスタンダードを奏でている訳だ。そして僕は今解った。僕は偉そうに「ひと」を扱う仕事なのだからなんてまるで医者より偉くなったみたいに上の方から言葉を吐きつけているけれど、それは「ひと」の中に「僕」が存在するからなのだ。「にんげん様」っていうのはつまり「僕」個人を指しているに過ぎないのだ。「僕」を扱ってくれる「お医者サマ」の更に上に立とうとする「僕」。おかしいな僕。
けど「にんげん様」の威を借りていた「僕」が「僕」だけじゃなくて「僕と彼」へと変化してしまって、その変化に僕は戸惑ったのだと思う。「彼」は医者で僕は医者がこれまで大きらいで「彼」のことは好きだったけれど「医者である彼」の部分は正直言ってきらいだった。「彼」のことを好きなんだったら「医者である彼」をきらっていて、本当に「彼」のことが好きだなんて言えるのか?って言われたらだってしょうがないじゃんそこのところがきらいなのは本当にきらいなんだしそれはどうしようもないんだもん「そのひとの全部が好きだ」なんて台詞はただの奇麗事だよ詭弁なんだよって答えたと思う。けどそれは本当に僕が「彼」のことを好きなのではなく好きだと思い込んでただけだったのだと思う。好きだったけど頭の中のどこかでは無意識に好きになりきれていなくて、だから僕の引いた線の内側に彼を踏み込ませはしなかったのだと思う。けど彼はいつの間にかこっち側に入ってしまってきていて、つまりそれは僕の無意識も「彼」を受け入れたということだ。そして僕は気が付けば「医者である彼」をも応援するようになっちゃってて、そのことにある日気付いてビックリしたんだということ。今日だけで僕は好きだとかきらいだとか何十回も書いてるかもしれない(<自意識>過剰?)けど、それはつまり意識が働いているのだと思った。好きだとかきらいだとかは「僕」が判断するのだ。無意識に「彼」を受け入れたということ。それは僕が彼を愛してるんだってことになるのかなあと思った。愛ってこういうこと言うんじゃね?って標準語ぶって安いテレビドラマみたいに語ってみたくなった。こんなこと言ってるテレビドラマなんて見たことないけどね。もちろんこれは僕個人に適用される話であって、みんながうんうんって頷ける話では無いのだと思うけど、僕はこういう風に感じたから、同じように共感してくれるひとがいたら嬉しいなあと僕は思うわけだ。僕の(無)意識の中にいるboundary personnel(対境担当者)は僕を取り囲むあらゆる出来事と僕の意識の核の部分にある感情とを吟味して(どこに引かれたとも分からないその線の上で)今日もせっせと門番役を務めてくれているのだ。


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加持 啓介 | MAIL

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