Leaflets of the Rikyu Rat
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2005年08月14日(日) |
奥田英朗「サウスバウンド」 |
mixiからの転載です。
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奥田英朗「サウスバウンド」感想
期待と不安を持ってこの本を開いた。 元過激派の父を持った少年ニ郎の視点から描かれる非日常的な日常。主人公が小学生であり、その視点で書かれているため平易な文章が多く読みやすいところが良い。ただ、それ故に“能の舞台のような”というような比喩があるとやけに物知りな小学生だなあとやや首を捻ってしまう。物知りと言えば向井君であるが、『オルグ』『共産主義』『学生運動』『革共同』まで知っている少年が公安を知らないのも逆に不自然だ。 個人的な話になるが、うちの父親は過激派でもアカでも無いにはせよ、かなり左がかっている。早々に脱サラし、田舎へ戻り地方出版社を起業、啓発本を数多く出版。市や県を相手に訴訟を数件。電力会社は国の手先だと断ずる。原発反対運動。ブラックリスト入りし“誰でも大歓迎な無料見学”を拒否られる。某場所では座り込みのストライキで機動隊に運ばれたことあり。家へ連れてくる友達は逮捕歴のある人も多々。某左寄新聞社と懇意。趣味は農業と釣り。僕自身、小さい頃無理矢理デモに参加させられたこともある。 こうして見ると、何から何まで作中の父親一郎とうちの父親が重なって仕方が無かった。まるでうちの父親がモデルなのかと勘違いしてしまう。久々に会えば、「ムスコは今朝も元気か」などと言う代わりに「キャバクラくらい行ったか」と声をかけてくるところまでそっくりである。類似点は幾らでも挙げられるがとりあえず割愛しておく。ただし、うちの父親は一郎のような伝説の男でもなんでもなく、単なる凡夫でしかない。要するに、この作中の父親は型破りなのではなく、極端にステレオタイプなのだと言えるのではないだろうか。 経験からくる私的な意見でしか無いが、このような父親がいると、その子供たちは迷惑でどうしようもないだけだ。と、成人になった今でも僕は思う。従って、ラストでの父親への家族の想いと、僕自身の父への想いとに乖離が生じ、非常に息苦しくもなった。(…将来僕が父親をどう感じるようになるかはまだ分からない。) 作中、彼ら過激派の主張を集中して読み取っていたのだが、深い部分に入り込むとすぐに二郎が眠くなり曖昧に終わってしまう。なんだこりゃと本を投げたくなった。エンターテイメント性との兼ね合いやバランスを考えると仕方が無いのかもしれないけれど、不足感が否めない。御飯の杯数で二郎の気分が読み取れるのは分かりやすくて良いが、安易すぎる気もした。何も考えずに読めば、それなりに楽しめる。直木賞受賞作家だけあって、文章力には安心して読めた。
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僕自身は元気です。 元彼(Dr.髭熊)と復縁しました。詳しくはおいおい。
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