航宙日誌
『革命戦記』と輝&Ark☆の珍道中?

2003年11月24日(月) 皆既日食 IN 南極

 一生に一度はみたいもの、其ノ一。皆既日食が何と、南極で観測されたと★ 尤も、大陸全土ではなく、かなり極点に近い辺りで、しかも、短かったらしい。昭和基地は残念ながら、皆既日食帯には入っていなかったそうだが、それでも、相当に欠けたようだ。

 1分20秒の比較的、短い皆既の瞬間はニュース映像で見た。白夜の南極で、かなり高度も低い。太陽と月との微妙な距離の違いなどもあるのだろうか。入る瞬間の『ダイアモンド・リング』が殆どないに等しく、逆に出てくる時はやけに派手な『豪勢なリング』が輝いたものだ。
 皆既の間はフレアだけでなく、プロミネンスも見えていた。つい最近、ここらでもオーロラが輝いたくらいだから、やはり太陽活動は活発らしい。
 そして、大陸のペンギンたちは落ち着かなかったという。それはそうだろう。本能的なものだろうが、人間とて、今でこそ『太陽と地球の間に完全に重なるように月が入り、隠してしまう』現象と知っているからこそ、『宇宙の神秘』『一生に一度は見てみたいもの』なんて、いってられるのだろう。
 その昔、太陽が神として崇められていた頃は──真昼にその神が隠れてしまうなど、大変な事態だったに違いない。
 日本でも古代は太陽が祭られていた。卑弥呼(中国側の当て字。古代中国読みでは無理なカタカナ表記で“ペグミャハ” 日本読みに近づけると“ピメハ”らしい。他の当て字では“日御子”“日巫女”などが妥当とか)は太陽の僕たる巫女として、国を治めていたともいう。『鏡で敵軍を威圧した』という逸話もある。
 その卑弥呼が死んだのは『魏志倭人伝』によれば248年だが、それが9月5日でないかという説がある。この日、古代の日本は皆既日食に見舞われた。非常に珍しいことだが、この90年前の158年7月13日にも起こっている。長い歴史で見れば、一世紀に満たない短い間に二度も太陽が隠れてしまったのは──当時の人々には強烈な奇跡的、それも神が失われたという負の体験だったろう。
 最初の皆既日食で太陽を祭り上げるようになったものの、90年後に再び失われてしまった。卑弥呼は巫女としての権威を失い、しかも、邪馬台国が争っていた狗奴国に敗れていたため、呪力も衰えたと見なされた。
 古い力を失った巫女はそれ故に『殺された』のだという説だ。

 話が古代にまで遡った上に変な方向に捻じ曲がってしまったが、確かに何の知識もなければ、昼に太陽が欠け、皆既ともなれば、黒い太陽となってしまう。しかも、周囲にはフレアが輝いているのだから、異様な姿とも受け取れる。『民族の幼児体験』としては恐ろしくも衝撃的なものだ。という説も尤もだと思う。
 それでも、一度は見てみたい──しかし、日本で見られるのは何年後だったかな。後、半世紀くらい後だったような覚えがあるが^^;;


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輝−Hikaru− [MAIL] [HOMEPAGE]

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