2002年11月24日(日) |
いい加減にしろよっ★ |
と思ってしまう。『ガンダム』に乗っかって、商売するなら、もっと真摯な本作りをしてくれよっ。 ○島社ムック本第2弾キャラ本についてはBBSにブチまけた通り──以下抜粋。
ブライトが「大人びた」というのも、まぁ、指揮官として「背伸びしている」わけだけど、リュウやスノーの前ではその姿勢が崩れ、フツーの青少年の一面が窺えたりもする。というのが輝の解釈なわけです。 だから、ただ偉そうにしているとか、アムロにキツイとだけ、いわれるのは正直、腹が立つほどです。ブライトにしても指揮官という不相応ではあっても、放棄するわけにもいかない役目を果たす上で、構えているのは明らかなのに、アムロに対してもなぜ、厳しすぎるほどに対するのかという点を全然、考慮していないんですから! 大体、脱走したアムロを独房入りで済ませたのは甘すぎるくらいなんだぞ!! それこそ、極刑が適当なのが軍。あれはアムロが必要だと内心では認めているのと、内々で済ませ、記録にも残していないのかもしれない。セリフや絵になっているところだけが全てじゃないし、あるものからだけでもその辺は汲み取れるはず。それを融通が利かないとか何とかしか見られないのかよ。 例によっての宝○社のキャラ・ムック本でもねぇ。一応、手にはしましたよ。ブライトとか、何人かのキャラんとこを読みはしたけど──夫々のキャラの“嫌いな人間”なんぞをわざわざ決めつける必要なんてあるわけかっ!? 因みにアムロはブライトで、ブライトはアムロだそうだ。そりゃま、アムロがブライトを気に食わない相手と見ていたのは否定しない。もちろん、好きではなかっただろうけど、単なる好き嫌いで片付けんなよ!! ・・・といいたかった。その辺もWBC3で書いたっけなぁ。
本日発見のキャラ心理分析本もそんな感じだな。20周年記念本にも出たけど、別口だった。 輝は『ガンダム』に限らず、何もアニメ・キャラの心理分析性格分析なんかを商業誌でやる必要はないと思う。 例えば、FGでの当初のアムロとブライトの対立を見て、アムロ・ファンがブライトを許せないとか、面白くない奴だとか思うのは当然だと思う。ブライト・ファンの輝のしても、ブライトが全てとか、絶対に正しいなどとはまるで思ってはいない。寧ろ、そんな未熟さを抱えながらも前に進んでいこうという姿勢とそれゆえの成長振りが好ましかった。 つまり、作品上の言動を見て、輝がそう感じとっただけであって、全ては見る人の解釈によるものだと思うからだ。同じシーンを見ても、見る人だけの様々な見方や受け止め方があるし、だからこそ、あのキャラがいい、このキャラが好きだ──という思いも生まれるのではないか? だが、『キャラ分析本』なるものは、その筆者の捕らえ方を押しつけたものではないか? むろん、編集のチェックは入ってるだろうが。前にも書いたが、部数の多い、商業誌でのこのような押しつけ(とあえて書く)は、それが一面の解釈にすぎないとは慰めてみても、やはり影響が大きすぎると考えられる。今さら、詮無いし、こんな声は届かないのだろうか? どうにも同じことが繰り返されている気がする。 輝にすれば、何で、そんな解釈が生まれるのか? が不思議な説すら飛び出す。本当にTV版なり劇場版なりを見ているのか。一回見た程度で、解った気になるはずもない。そうではなく『見方』によっては回数が問題ではないのだろう。となれば、どんな『見方』をしても、断定的な『解析』などできるわけがない、とも思えてくる。 輝は同人なりサイトなりで『自分なりの解釈』を発表しているが、もちろん、それが唯一のものと思っているわけではない。こんな考え方捉え方もある、と知ってもらい、どう受けとめられるかも知りたいからだ。 その意味では決して、『解析本』の解釈が間違っているとはいわない。筆者がそう見てしまったのだと考えられる。ただ、なぜ、そういう解釈に至ったのか──それがどうしても、納得できない。つまりは解析を追う文に説得力を感じられない。少なくとも、詳細さを謳った心理分析本やキャラ紹介本であるほどに、そういう傾向がある。 自分の感性が全てなどと自惚れてはいないが──やはり、単に『仕事』をしているだけの結果のような気がする。だから、買う気にもならない。 『逆シャア』くらいまでは迷いすらしないということはなかったんだが・・・編集者も変わったということになるんだろうか? 当時のムック本は今でも見られるものだと思うしなぁ。
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