2013年10月27日(日) |
第二章 秘密 2201年 東京春 (1) |
第二章 秘密 2201年 東京春 (1)
都市は地下深く何層もの広がりを絶えず続けていた。
純一が住んでいる高層マンションの地下にも円形広場があり、小川の流れが小さな滝となって落ちている先に、レースの様な水の輪が絶え間なく吹き上げている噴水があった。
そこは遠い昔のロココ風のヨーロッパの庭園などを連想させた。
その広場から続く、葉の茂った植木が並木道の様に並ぶ、長くほの暗い幾筋もの通路に、動く歩道がくねくねと銀色の鈍い輝きを放ちながら、地の底を這い回る大蛇の如く身をくねらせていた。
その道筋のあちらこちらにビルの入り口に通じるエスカレーターやエレベーターが点在していた。
純一は何処へ行く時でもまずこの地下広場まで来る。
そして目的地に応じて進む通路を選び、固い鱗が冷たく光るその大蛇の背中に飛び乗ると、ずるんずるんと重く地を這う音の響く、すべすべした表面の感触を足の裏に感じながら、足摺をして器用に小走りする。
少年の行く所はそう幾つもあるわけではないので、選ぶ通路は限られている。
友達のヨウジュスの家に行く時は、隣のマンション群へ向かう通路を進み、総ガラス張りの八角形の東屋の様な降り口から、乗り慣れたコバルトブルーの手すりのエスカレーターで更に地下に降りる。
その降り口のある広場は氷の国を思わせた。
全ての物が透明の様に見えるのだ。
本当はごつい鉄骨の骨組みが床や柱や壁の中を通っている。
さまざまな電気配線やケーブルなどが天井の内部を埋め尽くしているはずなのだから、透明に見えているだけで、本当に透けているわけではない。
さらに青い照明が強くなったり弱くなったり不規則に揺れ、氷の艶やかな虹色を帯びた幻想的な表情を際立たせていた。
この広場で純一は友達と待ち合わせたり別れたりする。
ずっと小さい頃から見慣れた所だが、前人未踏の秘境に漂う神秘の霊力が満ちている様でとても気に入っていた。
その広場の隅には、タロット占いをする老女がいた。
いつも決まった時間になると、彼女は薄い天幕を張った衝立の中の折り畳み椅子に座った。
そして客が近づくと、「さあ、こちらへお掛けなさい」と中から声を掛けて客を衝立の中へ迎え入れ手元のランプを点ける。
すると、天幕の中に黄色い光が溶け、それは夜の河をたゆとう小船の様に見えた。
幾度となくその光景を見るうちに、純一はいつしかタロット占いに興味を持つようになった。
その小船の中に入って見たい好奇心か、占いで知らない自分の未来を知りたいのか、自分でも良く解からないのだが、純一を引きつけるのだ。
その広場で純一はヨウジュスと待ち合わせていた。
二人は今日こそタロット占いをしてもらうつもりだった。
ヨウジュスは約束の時間より少し遅れて現れた。
「やあ、ごめん。待たせちゃって」
「僕も、さっき来たばかりだよ。どうせ、今お客が入ったばかりだからしばらく待つ事になるよ」
「純一、あんまり色々聞くなよ。答えが多いとそれだけ料金が高くなるからお金が足りなくなるぞ」
「ああ知ってるよ。最初にお金がこれだけしかないんだって見せて、その分だけ占ってもらう事にするのさ。そうすりゃあ、後で困ったりしないですむと思うな」
「頭良いねえ。さすが」
衝立の中にいた若い女性が出て行ったので、純一達はその小船の様に見える占いの店の前に進み、幕に手を掛けて占い師が入るようにと自分達に声を掛けてくるのを待った。
しかし、ちょっと沈黙が続いた後、さらさらと衣擦れの音がして、ぱらぱらっとタロットカードが硬い床に落ちた。
それに続いて占い師の体が崩れ、ランプを押し倒した。
純一とヨウジュスは反射的に飛び込んでその体を支えた。
そうしなければ、彼女はそのまま椅子から転げ落ち、頭から床に叩きつけられていたに違いなかった。
「わあ、どうしたのですか」
「しっかりして」
衝立を押しやり、二人は占い師の老女の上体を支えながら呼び掛けた。
遠のきつつある意識の中で彼女は腰のベルトに付いている鍵を震える指で探り、純一に示した。
「手を、手をかして」
「解かった。この鍵だね。どうするの」
「椅子の下の、トランクの中に」
「ヨウジュス、誰か呼んできてくれ」
純一は彼女の言葉を聞きながらもヨウジュスに頼んだ。
すると、占い師は眉を寄せて首を振り言葉を搾り出した。
「どうせ、間に合わない。さあ、この鍵で開けて。あなたに託したい物があるの」
彼女は純一の手をとって鍵をその手の中に押しこんだ。
ヨウジュスは純一に彼女をまかせて、人を呼びに行った。
通りすがりの人々は迷惑そうに足早に立ち去り駆け寄る者など一人もない。
「さあ。この鍵で開けて中にカプセルがあるのよ。それを出して」
純一は頷くと占い師の足元からジュラルミン製のトランクを取り出し、鍵を開けてラグビーボールの様なカプセルを取り出して彼女の手元に差し出した。
「はいこれだね。これをどうすれば良いの。大事な物なんでしよう」
「このカプセルには、大事なオオルリの卵が入っている。孵化のオートプログラム解かるわね。この中の卵があと一週間で雛に雛に・・・・・。ああ、お願い、お願い」
「しっかりして、おばあさん。このカプセルは僕達がちゃんと預かって、雛が孵ったら世話をすれば良いんでしょ」
「ああ、お願い。オオルリ、オオルリの卵は生きているの。その卵は生きた宝石。誰にも言ってはいけない。秘密を守ってあげてね。可愛い私の小鳥を」
「解かった。僕、矢島純一。おばあさん、名前は何て言うの。何処に住んでいるの。家族の人を呼ぶから。しっかり、名前は」
「腰にもう一つ鍵があるの。この上のコスモビルの屋上に……」
そこまでしか声が出なかった。
後はかすかに唇が震え、口の中で舌が縺れた。
純一の腕に預けた体の重さが更に増したようだった。
そこへ救急隊と警察官がやっと駆けつけて来た。
彼女は意識不明に陥っていたが、救急隊員によって救命の処置が素早く行われた。
彼らは手際良くストレッチャーに彼女を乗せると、緊急用のエレベーターに引き入れた。
占い師は救急隊と共に去り残された椅子や天幕は隅に無造作に押し遣られ、ジュラルミンのトランクは警察官が持ち去った。
そして純一の手には、彼女から託されたカプセルと一昔前の時代の物のような古めかしい鍵が一つ残された。
ヨウジュスは床に散らばったタロットカードを全部拾い集めて、隅に押しやられた天幕とランプを引きずり出した。
「純一、この荷物、僕が預かるよ。運ぶのを手伝ってくれ」
「勿論さ。そしてあの人の身元を調べなくてはならない。知り合いの誰かに知らせなきゃ」
「その鍵をおばあさんから託されたのだからね。ちゃんと約束は守らなくちゃな」
純一とヨウジュスは両手いっばいに持てるだけの荷物を持って、とりあえず直ぐ近くにあるヨウジュスの家へ運ぶ事にした。
その広場の中央にある降り口からエスカレーターに乗り、更に地下へ降りて行くのだ。
地下三階のヨウジユスの家はドーム型の広い円形で、総ステンドグラスの玄関ロビーを中心に、部屋のドアがぐるりと並んでいた。
ヨウジュスは玄関ロビーに荷物を下ろし、まだ残っている荷物を取りに広場へ戻った。ところが、置いてあった折りたたみ椅子は既に誰かに持ち去られてしまっていた。
「しまった、交代で運べば良かったよ。本当にすぐ側だから急いで戻れば大丈夫だと思ったのが甘かったなあ。ちくしょう」
「まあ良いさ。それより早く君の部屋へ行こう。君が助けを呼びに行っている間に凄い事があったんだよ」
悔しがっているヨウジュスにそう言うと、先に立ってヨウジュスの部屋に入って行った。そして、ラグビーボールとしか見えないジュラルミンのカプセルをそっとテーブルの上に置いた。
「オオルリの卵だって」
「へえ、これがカプセルかい」
ヨウジュスは半信半疑でカプセルを手に取り眺め回した。そのカプセルはパールの虹色がかったブルー・グレーのメタリックで手にすると殆ど重さを感じない位軽かった。
表面の固さから卵の殻を持っているような感じがした。だが例えば少年などが抱えれば、洒落たラグビーボールに見えた。
純一は老女が息絶え絶えに頼んだ言葉をなるべく正確に思い出しながらヨウジュスにその時の事を説明した。
ヨウジュスはカプセルを優しく撫ぜながら呟いた。
「生きた宝石か。オオルリ。オオルリかあ。何処かで聞いたような名前だな」
「本当かい。君のコンピューターで調べてみようよ」
ヨウジュスの部屋の天井は、ちょうど薄日が差す空の様に透明で水色に淡く輝いていた。グラスファイバーを通して太陽光を地下三階まで引き入れ、高い天井全体から部屋中へ放出しているのだ。
地下とは全く感じさせない開放感のある部屋だった。視覚的には屋外だが、本当は地下三階なのだと知っている事で、絶えず精神的な圧迫感を無意識に感じ続ける。
それが精神的ストレスになり、長年の間には感覚障害を引き起こす事もあると言われていた。
だが、ヨウジュスはずっと先に起こるかもしれない感覚障害など少しも気にならなかった。どんな大掛かりなバーチャルゲームでも可能な広さに満足していた。
「そっちはだめ。いま新しいゲームをスタンバイ中なのさ。こっちに来てよ」
コンピューターのデスクに近寄ろうとした純一を制して、ヨウジュスは先に立って広い部屋に張られた生成り木綿の大きなテントの中に入っていった。
テントの奥には低いベッドに羽根布団やタオルケットがぐしゃぐしゃに丸められ、色々な物が乱雑に足の踏み場もない程一面に広がっていた。
「ちょっと待ってくれよ。こっちのを使わないといけないんだよ」
「あっと、なんか踏んじゃったよ。大丈夫だったかなあ。ああ良かった。バリッて音がしたから焦ったよ。空箱だったぜ」
純一はプラスチックのケースを拾い上げて微笑んだ。
「えーと、あったあった。このパソコンを探していたのさ」
ヨウジュスはそんな事にはお構いなしで、ノートパソコンをベッド脇の枕の下から取り出して、さっさとテントから出て行ってしまった。
純一は潰れたケースを後ろへ投げ、体の向きを変えようと足を置く所を探したが片足が安定良く置けずにバランスを崩し尻餅をついた。
「痛たた。やれやれだぜもう、やんなっちゃう」
「純一、オオルリのページがあったぞ。早く来いよ」
ヨウジュスの呼ぶ声が遠くに聞こえた。純一は自分の足の回りのガラクタを脇へ寄せてやっとの事で立ち上がった。下には固いブーツの片方があった。
ヨウジュスはソファーに深く腰掛け、ひざの上にノートパソコンをのせて見ていた。
「オオルリはとても珍しい野鳥だよ。現在絶滅したかどうか不明らしい。もしかしたら日本の深い山の何処かに生息している可能性は残っていると書いてあるね。凄いぞ。とっても綺麗な小鳥だよ。純一、これは凄い値打ち物だよ」
「どれどれ、見せてよ」
純一はヨウジュスの隣に腰掛け、その画面を覗き込んだ。オオルリはその名のとおり、雄は頭から背中、そして翼と尾羽が何れも艶々とした瑠璃色で、顔から胸は黒、腹部は白の、非常に美しい色の小鳥だった。
日本全国の山地に生息していたヒタキ科の野鳥だ。各地の深い山でハイカー達の目を楽しませていたのは二十世紀末までで、今ではもう何十年も姿を見せなくなっていた。
最近では既に絶滅したと主張する研究者さえいる。そんな貴重なオオルリの卵の入ったカプセルが目の前のテーブルの上に置かれているのだ。二人は暫くの間カプセルを見詰めた。
「これは僕達だけの秘密だ。絶対誰にも言っちゃだめだよ。あの人から預かったんだからね」
純一はヨウジュスの肩に手を掛けて真剣な眼差しで彼の顔を覗き込んで言った。ヨウジュスは嬉しそうに目を輝かせた。
二人はカプセルをヨウジュスの部屋のクローゼットの中に隠して、老女が言ったコスモビルという建物に彼女の家を探しに行くことにした。
コスモビルはヨウジュスの住んでいるマンション群の中にある最も古い高層マンションだった。入り口は地下一階にあり、その地下ロビーが形ばかりのセキュリティーゲートになっている旧式のマンションだった。
ドアの前に立つと目の前のドアが両側に開き、純一達を迎え入れた。
最上階の三十階まではエレベーターで上がる事ができたが、その先は最上階の住人達専用の広いテラスの隅から螺旋階段が屋上まで続いていた。
純一とヨウジュスはその螺旋階段を二段抜かしで勢いをつけて駆け上がった。
彼女の家はそのビルの屋上だと思っていたが、その屋上には住宅としての部屋など無かった。純一は鍵を渡された時、彼女が言った言葉をもう一度思い返してみた。
「コスモビルの屋上に……」と、まで何とか言葉を発したが、その後は声にはならず、実際にはその後に続く言葉を聞いた訳ではなかった。
だが、あのような状況ではその辺の事をしっかり押さえる事はできなかった。純一は話の流れからコスモビルの屋上に彼女の住まいがあって、その部屋の鍵を渡されたのだと頭から決めてかかっていたのだった。
「昔、誰かが花かなんか作っていたみたいだけど、今はからからに乾いているね」
「わあ、何だか枯れた植木や草で廃墟みたいじゃない」
「ちょっと行ける所まで行って見ようか」
「気味が悪くなってきたよ。こんな所にいったい何があるのかな」
純一は背丈ほどもある枯れ木や生い茂ったままカラカラになった潅木の間で先へ進むのを躊躇していたが、ヨウジュスはそんな純一に構わず先へ進んでいった。
「純一、来てごらんよ。何かな、何かあるみたいだよ」
やがて、かなり離れた所からヨウジュスの声が聞こえてきた。純一は声のする方に進んで行ったがすぐに、うっそうとした植え込みに阻まれて袋小路にはまってしまった。
何という事だ。背伸びをしても茶色に干からびた植木が目の前に立ちはだかり、自分が何処にいるのかさえ解からないのだ。
袋小路を抜けるには戻って道を探す以外に無い。
「ヨウジュス、そっちに行きたいんだけど道が迷路になっていて迷ってるんだよ」
「純一何処にいるの」
「ヨウジュスの近くへ向かっているはずなんだけど、また行き止まりだ。嫌になるよ」
「今度来る時はいまいましいこの枯れ木を切り倒す道具を持ってくるぞ」
「ヨウジュス、やっと近くに行けそうだよ」
「近くに来てないよ。声が前より遠くなっていくぞ、純一」
純一はヨウジュスの待っている地点を目指したが、植えこみの迷路は恐ろしく複雑さだった。
段々時間の経過と共に心細くなってきた。純一は闇雲に迷路の中を駆け回った。
やっとの事でヨウジュスの姿を見出だした時には、不安と緊張のため純一の顔はすっかり強張ってしまっていた。
「純一、遅かったね。僕本当にどうなる事かと思ったよ」
ヨウジュスも純一を見るなり駆け寄り真顔で言った。
二人の前にはツタですっぽり被われたコンクリートの壁があり、背の低い小さな金属の扉が見えていた。
取っ手の下に鍵穴が開いていた。純一は急いで老女から預かった鍵をポケットから取り出して、その鍵穴に差してみた。
鍵はスルリと回りドアが開いた。二人は顔を見合わせた。
( 続く )
|