JCO臨界事故の判決が水戸地裁で言い渡された。 当時、私が事故のニュースを知ったのはプールからの帰り道で、 夕方は今日のように雨が降っていた。
私の家は10キロ圏内に位置していたので、翌日は屋内退避。 外には出ないようにと市内放送が流れた。
テレビのニュースでは見慣れた交差点付近が映し出されていたが、 いつもの雑踏から一転して、ゴーストタウンのように静まり返っていた。 あれから3年近くが経ったのだ。
この地域は東海村の原子力研究所をはじめ、 かなりの数の関連施設がある。 それらに従事している人達の人口はかなりの割合を占め、 大きな経済効果もたらしている。
私も少なからずその恩恵を受けている。 既にこの地域は、 原子力とは切っても切れない関係になってしまっているのだ。
ここで生きていくには、 二度とこのような事故が起きないよう祈るしかない。
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2002年03月03日(日) 戒め
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