TVのワイドショーを見ながら、早く帰ってきた娘とご飯を食べていた。
今年8月に亡くなったあざらしのナカちゃんのその後を取上げたニュース。
那賀川の「ナカちゃん」−徳島新聞−の記事冷凍状態で保管されているナカちゃんの死骸をはく製にするのか、レプリカにするのか、骨格標本にするのか、地元では賛否が分かれているという話。
実際にナカちゃんを見たこともなく、地元民でもないから、部外者はだまっとれ、といや、そうなんだけど…。
その中に「骨格標本にしたら子ども達が可哀想…」という意見があった。
愛くるしい姿のまま、子ども達の記憶に残しておきたいというものか。
思わず。「それって、なんか、ちゃうんちゃう?」と呟いた。
愛くるしいナカちゃんの写真を見ると皆にすごく愛されていたんだろうと思う。
特別名誉市民に対して部外者がこんなことをいうのは暴言だと思う。
でもやっぱり何かが変だ。
ナカちゃんに限らない。いたずらにブームに煽られて、何だか妙な可愛がり方、悪い遊び方をする大人が多いような気がする。
生き物だぞ。遠くから見守ってやる、それで十分じゃなかったか。
博物館へ行くと大小の色々な骨格標本と出会う。
生きていた姿を想像する。肉付けをする。精密な命の仕組みに感動する。
生きていた姿を知るなら尚更だ。
それとも可愛くデフォルメされたキャラクタを愛する方が真実なのか。
それって …違うんじゃねぇ。
損傷の為に、はく製や、レプリカが不可能で、骨格標本も「可哀想」というのなら、そっと自然のままに早く土に帰して、そう思ってないかな、ナカちゃん。
(阿南市の方、読んでお気を悪くされた方、ごめんなさい)
これも違うんじゃねぇ。…いや、組への愛が
Sako