「Sakoにケータイ持たせても(いつも出ないので)意味がない」と言われている。
本日、うっかりケータイを持ち忘れて仕事に出てしまった。
まぁ。いいか。メールはネット使えばいいし。電話も公衆電話を探せばいいや。
そんな何となく落ち着かない出勤途上、ある事に気がついた。
時間が分からないのだ。
いつからかケータイを持ち歩くようになって、腕時計をしなくなった。
「電車… 間に合うかな」
通り過ぎる店のウインドウの奥、時計を横目で探す。
まぁ。いいや。 今、何時ですか? よっぽど困ったら、人に尋ねればいい。
…ケータイを 忘れて探し 時計盤 (梅玉) …そのままやんか (^^ゞ
ところで。中2のまる子ちゃんがケータイを持たせろとうるさい。
学校のお友達、みんながケータイを持っているのだそうだ。
お姉ちゃんは中3の時だったし。
みんなが持っている…と聞くと、ますます、そういう理由で持たせたくない。
上等な子育てのポリシーというより、何でも人と同じ、みんな一緒というのが、単に嫌だという理由 …すなわち天邪鬼なだけ。
親の我を通して、結果、良かったのか、悪かったのか、時々後悔します…。
9月のまる子の誕生日祝いにでも(…せこい)ケータイを買ってやるか。
そういう腹づもりだったのですが、どうやら、そうもいかなくなりそう。
うちの学校、ふだん学校へ持ってくるのは禁止なんですが。
先日、部活の練習試合で遠出して帰宅が遅くなった時のこと。
顧問の先生が「ケータイを持って来ている人は家へ連絡しろ」と。
うーん。部活の連絡事項など、やっぱり必要かな。
今月のお姉ちゃんの誕生日祝いに(機種変更がプレゼント… せ、せこい)
一緒に契約するか…。
友達とメールばっかりするとか、出会い系サイトにアクセスしないかとか、
そういったことはケータイが悪いんじゃなく、ポリシーの問題だもんね。
子どもにうるさがられても、口を酸っぱくしても言わないと。
でも。それでも、どこかで思うんですよ。
今日はケータイを忘れて、腕時計の必要性を感じたんだんだけどね。
ケータイ。…何でみんなそんなに持ちたがるのかなぁ。
家族みんなが個々に忙しくなったからかな。
万が一の時や、ふだんつながっている、というのは確かに安心なんだけど。
つながっていないからこそ、相手を心配、思いやる優しさも出てくるし。
第一、窮屈なんじゃないのかな。 …時代に逆行してますかね。
で。ケータイを持たせるにあたって、色々と見ていたら、FOMAのGPSを利用したイマドコサーチというものを見つけました。
参考サイト →
NTT DoCoMo イマドコサービス私だったら嫌だなぁ。…ちょいと場所が知れるとまずい時がある…。
『Sako 4月18日15時30分(火) 某駅前 パーラー豊玉 付近』
おい。仕事じゃねえのか。なんて。 FOMAじゃなくて良かったー (^-^;)
自分は「そんなの野暮だ。持たねえよ」などと言うくせに、
隊士にはしっかりイマドコサーチ付きのケータイを持たせて、行動を管理する人…。
もしかして、そんな人だったりするのかー? 彼の人は。
Sako