京都市美術館の特別展「修羅と菩薩のあいだで」のポスターを街で見かけた。
小林古径という人が描いた「赤童子」。有名な絵らしいが、全身真っ赤な童子が剣を手挟み、手を胸の前で合わせている。眉根を寄せ、目を見開いた表情に強く惹きつけられる。似ても似つかぬが、その絵に歳三を重ねてしまった。
「新選組!! 土方歳三 最期の一日」 感想 その1 ひねくれ編
特に三谷幸喜のファンでもなければ、山本耕史のファンでもない。
おまけに天の邪鬼で、人が泣くと聞けば絶対泣くまいと思う、悪い性格だ。
歳三がこんなに好きなのに泣けないのは、どこか私がおかしいんだろうか。
だけど、これが思ったまま。だから、どなたさまもごめんなすって。
実際、泣けなかった。
鉄が山野を駆けるラストシーンも。島田の泣き崩れる顔も。生きるために戦うという土方の言葉を聞いた時も。胸はキュとなったが涙は出なかった。
正直にいうと、やはり山本=土方に感情移入できない自分がいる。
嫌い、というわけじゃない。入り込めないのだ。
泣けない原因、入り込めない理由は何だろうか。
山本=歳三像なのか。作品じたいなのか。凝り固まった私の妄想頭なのか。
迷路に入りそうで、うまくまとまらない。
確かめようと、今日2回目のビデオを見たが、やはり泣けなかった。
胸が痛んだのは、クライマックスや、見せ場ではなく、白地に浮き出る5つの星と「最期の一日」の文字がかぶさるタイトルバックであったり、弁天台救出に向かい、一本木へ馬で駆けるシーン。…変ですかね、私?
ラストも、それまでの色彩を変えてしまう、勝ちゃんの登場に、あれ?と思った。
せめてドアップではなく、切り取った一場面の方が良かったんじゃないかな。
「新選組!」の遊んだ冒頭登場シーンで始まり、気が付けば舞台上の台詞劇に引きずりされ、そしてまた「!!」で終わったという感じだ。
三谷さんは例えると腕のいい調理人で、その腕の良さが料理に見え隠れしている。隠し包丁や、隠し味や、遊びの味付けやら…、それが楽しめる時と、見えてうるさいと思うときがある。
味の分からない私は、こと「歳三」という材料に関しては、どんな味付けより、素材そのもの、自然のままが一番美味しいと思っているのかもしれません。
(感想 その2 に続く)
感想書くのって難しいなぁ。気を悪くされた方、すみません。
残念ながら、土方に感情移入や、泣けはしなかったけれど、最期の一日という今までにない切り方で、面白い作品だったと思う。その2で書きますね。
でね。うーん。これはこれで、話の展開だから、別にいいんですけど。
などと言いつつ、自分の中で、違うなと、変にこだわっている事がある。
鉄(可愛いですね)の例のシーンなんですが。
律儀で、世話焼きで、情のこわい歳三さんなら、きっと鉄をあんな状況で放しはしない。無事、蝦夷から落とすため、事前に潜り込む船の手配をし、そんな算段を取っただろうなぁ。と、ふと。
Sako