京のいけず日記

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2005年07月17日(日) 通勤文庫 六月は真紅の薔薇 三好徹

6月は早や過ぎ去り、祇園祭も終わり、2005年の半分は終わってしまいました。
毎日、目標も無いまま、ただ一日を無事終えることに費やしています…。


六月は真紅の薔薇  著者:三好徹

ふと、価格を入力していて気がついた。
 あの頃は消費税なんて、まだなかったんだ。

六月は真紅の薔薇 上巻 六月は真紅の薔薇 下巻

講談社 昭和50年9月16日発刊 ハードカバー @850円



 この小説の主人公の沖田青年よろしく、
 今の世界から飛び出して、何かを、自分を確かめたかった18歳の私。
 結局、今に至って、何も確かめることなど出来ないままでいる。


 六薔薇。文庫本も持っているのだけど、懐かしいこの表紙で読みたくて、
 嵩張る本を毎日カバンの中に入れ、電車の中で読んでました。

 副題の通り、主人公、沖田総司の「僕」という一人称で描かれた小説。
 
  「そのころ僕は、試衛館を出たいという夢想で日を重ねていた」

 という書き出しで始まる小説は、時代小説というよりも、
 一人の青年の成長と挫折、その他諸々を描いた青春小説のようだ。

 読み始めは意外なことに青臭い沖田がまどろしかった。 
 自分がいかに在るべきか。 と問う、沖田総司が、じつに辛気臭いのだ。

 不思議だな。
 10代の私、20、30、40代の私。同じ内容なのに感じるものが微妙に違う。
 それだけ、こちらの神経が鈍く、図太くなってきたんだろうか。
 
 小説とは別のことを思いつつ、上巻を読み終える頃…。
 2冊の表紙を眺めているうちに、やたらと悲しくなってきた。

 突き抜けるような高く青い空と一片の雲。静かな夕暮れ。
 20代でこの世を終えてしまった一人の青年の象徴のようで。 



 で。土方歳三に目をうつせば。

 沖田の「僕」から見て「副長」という立場で登場しています。
 登場回数も多く、局長の近藤勇に逆らって言いあう所などは、たまらなく可愛い。

 沖田との関係は兄弟のように描かれている。
 兄弟って…。 ただ仲が良いというわけじゃない。
 
 お互いに異質なところや、嫌なところがあったり、許せなかったり、
 でも、違う個性として相手を認めてる。自分に一番近い、早くからの他人。
 妙に甘くもないし、だけど、あったかい…、しょうがねえな、そんな仲。


 いかにも、らしいといえば。
 沖田総司に思いを寄せるも、沖田からは相手にされない吉野太夫。
 そんな太夫を、気に入らない伊東甲子太郎に持っていかれそうなもんで、
 それなら俺が先に頂いてやる …なんてところが笑えてしまう。

 微妙な大人な関係の吉野太夫と歳三、二人の沖田を見る目があたたかい。

 一方、沖田は、おあい、という肺を病む女性と結ばれる。
 小説では、おあいの病が沖田にうつったという設定。

 …結核。もしかしたらキャリアだったのかなぁ。
 元気な間は体のどこかに巣くっていて、宿主が弱ったとたん攻撃を始める。
 だとしたら京での日々は、沖田にとって過酷な毎日だったんだ。

 ちなみに歳三さんも持ってたんじゃないかと。結核菌。
 こっちは宿主が気の張り通しで、付け込むスキもなく退散したとか…。
 ありえそう。


 去年の大河で、沖田が喀血したシーン。
 あの真っ赤な花びらの舞うCG、確か興ざめだなんて感想書いたと思う。

 ここでも真紅の薔薇は、赤い血の象徴でもあるのだけど、
 なぜ薔薇の花か、六月か、は、小説でどうぞ。

 六月は真紅の薔薇
 時代小説らしからぬタイトルが印象的な古くからの愛読書の一冊です。


Sako