京のいけず日記

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2005年04月26日(火) 猫の墓場

猫と歳三さん猫にかまう歳三さん


猫は死に目を見せないという。

それが定説であるかどうかは知らないが、
少なくとも我が家(実家)の猫たちは、死期が迫ると姿を消していった。

ブイブイ言わせてた頃の2代目チロ(トラ毛・♂)   

チロ(雄・虎毛)
2代目トラ毛の雄猫は、 
やんちゃで、喧嘩ばかりしていた。

3代目は黒と白の雌猫で、 
おとなしくて気立ての良い美人の日本猫。

ちなみに初代のチロ(代々この名前)が居たはずだけど、幼かったのか記憶がない。


4代目のチロが我が家に登場するのは、結婚して私が家を出てから。
チロは捨て猫だった。
実家近くの散歩道…正確には墓地を抜ける道…で、子供たちが見つけた。

墓地に捨てられたトラ毛の痩せた雌の子猫。
場所が場所だけにその時は素通りしたが、何となく気になる。
帰りもまたその道を通ったら、チロは私達を見ると用心しながら擦り寄って来た。

当時、私達は賃貸のマンション暮らしで、猫は飼えない。
結局そのまま実家で飼ってもらうことにした。

随分と臆病で、毛をすぐに逆立たせる神経質な猫だった。
室内飼いをしているわけではないのに、外へ出ようとはしなかった。
優しい父にはすぐに懐いたが、母に甘えることはなかったけ。


猫の寿命は人に比べて短い。
室内飼いが増えて、平均寿命が延びた今でも10年から15年ほどじゃないかな。

胸にしがみ付いて鳴いていた子猫もやがて年老いる。
毛のつやはなくなり、体の張りは失われる。

喧嘩傷の絶えない、やんちゃだった2代目も、
煙草屋の看板猫にもなった、おとなしい3代目のチロも、
幸い事故にも合わず、自然のままに長生きして、そして逝った。

もっとも病院へ連れていけば、医者は一つや二つ病名を言い当て、
寿命も少しは延びたかもしれない。
猫は猫。人は人。薄情なようだけれど、それが我が家の飼い方だ。

最後は、もう長くないのでは…と注意して見守っていたはずなのに、
横たわって動けるはずもないのに、忽然と家の中から姿を消してしまった。

どこかで倒れているんだろうと、床下やら、天井裏やら、
居そうな場所を、家中を探したけれど、それっきりもう現われなかった。


墓地で拾ってきた4代目のチロもそうだったらしい。

その日、たまたま実家へ来ていた姉の話によると、
普段なら甘えても来ないチロが、珍しく体をこすり付けてきたそうだ。

何日か前から吐いたりしていたが、今は好物でさえ食べる気配もない。
落ち着き先を求めるように部屋の中をヨタヨタと歩き回っていた。

姉が帰ったあと、碁会所から戻ってきた父を戸口まで迎え、
大好きな父の膝の上に乗ったあとで、その後、居なくなったらしい。
畳まであげて床下を覗いたが、チロは見つからなかったそうだ。

臆病なあの猫はきっと一人ぼっちでは死ねない…。
父のそばで、畳の上で死ぬんだろうなぁ…と思っていた。

だから。昨年、母を亡くしたばかりの父はどんなに力を落すだろう…と、
チロのことより、私は、父の身ばかりを心配していた。

チロが居なくなってから、もう二十日ばかり経つ。
父はようやくトイレの砂やら、猫用の食器を処分した。
亡くなった母は一度も出てこないのに、チロは夢に見るんだという。

十年前、人気のない、だだっ広い墓地で、鳴いていた薄汚れた子猫。
拾うだけ拾って、あとは父母に任せた。
あの時、チロは私達に拾われて幸せだったんだろうか…。


猫は死に目を見せないという。
家に憑くとか、飼い主の不幸をみんな背負って逝く…などという。

身勝手な人の想像か、感傷かは知らないけれど、
我が家の猫達は寿命を生きて、ひっそりと飼い主の前から姿を消した。

チロのように、人として、ちゃんと死ねるだろうか。


Sako