京のいけず日記

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2005年04月18日(月) 我が家には無いもの…

兜の飾り整然と片付いた部屋。

ぽかぽかと陽射しのあたる縁側。

よく出来た奥さん。

それは、山ほどあるんだけれど。

兜飾りもないなぁ。
娘ふたりの我が家には。

(姉んちの甥っ子のお父さんの、そのお父さんの兜飾り。
 なぜか会津の赤べこが…)


今日は姉宅のおニューのパソコンを見に行ってきました。

上の写真は甥っ子の兜飾り。

甥っ子といっても、ゲイ大…じゃなかった、芸大で、
建築デザインの勉強をしている、もう大きな男の子なんだけど。

季節、季節、私と違ってマメな姉はこういう事をかかさない。
けして形式ばるとかそういうことじゃなくて。

例えばトイレの中の小さな台の上にガラスの小瓶をのせて、
軒先で咲いている花を摘んでさりげなく飾る。

旬の食べ物を真っ先に食膳に載せる。

そして、いつも自分の心配より、人の心配ばかりしている、優しい姉だ。
3つしか違わないが、親のように甘え慕っている。

ソフトのインストールやら頼まれごとが一通り済んで、
お茶を飲みながら、ふと、昨年亡くなった母の話になった。

実家と家が近い事もあるが、甲斐甲斐しく走り回り、母の介護をしていた姉。
仕事にかまけていた私とは大違いだ。

情が深くて優しいのだと照れずに言ったら、
兄弟の中でほんとうに一番優しいのは兄だと、姉は言う。

兄は家を出たまま、あまり実家にも寄り付かず、
何一つしてくれなかったけれど、ほんとうは心根がとっても優しい人だ。
私は母の世話をしなければいけない、そういう気持ちの方が強かった、と。

それなら…。優しい気持ちも持ち合わせず、
してあげなければ、という使命感もないのはどうなんだ、と聞いたら、

気楽でいいな、と笑った。


どこか歪で何か大事なものが欠けている人間。
人を大切にしない。ものを大切にしない。自分をも大切にしない…。

身近な人、身近なもの、あるいは自分を失う時でさえ、
同じように、どこか淡々と薄情なのではないかと、自分を恐がっている。

前世はほんとに一生の短い虫だったのではないか。
大切にするとはどういうことか…。

暇になると、すぐに、こんなくだらない思考が混ざりこんでくる。

だから、仕事にしろ、何にしろ、余計な事まで背負い込んで、
クタクタに疲れて、グジャグジャ考えないようにする。

そんな風に思うんやったら、逃げたらあかんのと違う、と姉が言う。

逃げなきゃ、とっくに押しつぶされてしまう…よ。と反駁する。

ものにあふれ、恵まれ過ぎているからだろう。
紙一枚大切にすることから、具体的に行動してみるか。
私が私でいられるのは、今まで生きてきた時間の半分ほどだ。


それはそうと、長年思案して、ようやく購入したというパソコン。
とうぶんの間、netにもつながないという。
恐い気がするし、今のところ別に不自由も、必要もないからと…。

大学生もいるのになぁ…。恐がってても始まらんで、とも思うけれど、
無理にする必要も、便利さもない、満足げな姉を見ていてそう思う。

仕事場では言えない話だけどね。


Sako