京のいけず日記

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2004年06月08日(火) 通夜ばなし

ただ今、京チャン「新選組逸話」を見ています。
歳三忌の様子も流れていました。長いこと行ってないなあ…。




(こいつら。俺の冥福を祈りに 別れを惜しみに 来たんじゃねえのか…)


昔、祖母が亡くなった時、子ども心に思った。

何なんだ。コノヒトタチハ…。

親戚のオッチャンやオバチャン達が、お酒を飲み、寿司を囲み、
どうでもいいような話に盛り上がって笑っている。

祖母が亡くなったというのに、どうして、こんなに晴れやかなのか。
私達の小さな領域へ、突然、土足で上がりこみ、我が物顔できり回している。
呆然とするやら、腹が立つやら。


母の葬儀は友引をはさんだために長い通夜となった。

毎夜のように葬儀の段取りに右往左往している私達を
ドライアイスを抱いた母は笑ってたことだろう。

人が死んだというのに、ドタバタ…。まるで喜劇のようだ。


葬儀会場での一晩の通夜。
寿司桶を囲み、酒を注ぎ、無駄話に興じる。

祖母の葬儀の時と同じ顔ぶれだが、30年も経つと、
オッチャンや、オバチャン達は、悲しいほどに歳を取っていた。

線香の番をしたいから泊まりたいという親戚のオバチャン4人と、
まるで合宿のように、控室に枕を並べ、3組の布団に5人が寝る。

「あんたは末っ子の甘えたやったなぁ」

四十路のオバチャンもここではいつまでも子どものままだ。
子ども扱いに閉口しつつも、
甘えん坊にしておきたいのなら、永遠にその役でいてあげようと思う。
(↑ そういう考え方が既に甘えん坊根性なのね)


ろうそくの灯り。線香の煙。明々とライトアップされている母の写真。

「代わるから寝てきよし」

深夜、祭壇の前に座っていると、入れ替わり誰かがやって来る。
会食時と違って、1対1の会話はうら寂しく悲しい。

30年前、子どもだった私は、通夜の騒ぎだけを見て、
その後に訪れる静寂も、交わされる会話も、悲しさも知らなかった。

忙殺されるからこそ、悲しみを忘れる。
故人のために、残された家族のために明るく振舞う。


「こういう時しか中々会えないなんて淋しいねぇ」

年上の従兄弟が言った。確かに…。

それでも…。

それでも、叶うなら、
死ぬ時はひっそりと静かに死にたい。葬式はいらない。

10年後、20年後、思いはまた変わるだろうか…?



Sako