京のいけず日記

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2004年05月23日(日) 写真よ 永遠に… (注)まじです 

嵯峨祭り。今年は祭りのことはダンナに任せ、実家へ母のもとへ行った。

勇と歳三の写真より模写
(近藤がいて、土方がいる。そんな歳三さんが好き)


母の容態がかなり悪い。38度5分の発熱。もとより意識は起きているのか、寝ているのか…。

顔の区別がついているのかさえ分からない。
意志とか、心とか、そんな、ちっぽけのものじゃない。もっと、もっと、深い。
ただ生きようとする本能、生命。原始の命が母の体を持ち応えている。

訪問看護婦さんのアドバイスのもとに、座薬を入れる。
しばらくして、発汗とともに熱は下がった。
時おり声をかけ、吸い口を唇に押しあてる。無意識のうちに唇が上下する。
骨と皮に痩せ細ってしまった体。肋骨の浮き上がった、尖った胸。
私はこの母から産まれた。

「生きている間に…」と、姉が言った。

会わせておきたい人を思い浮かべる。すでに鬼籍に入った人が多い。
「遺影」の話になった。

「それなら…。写真ならたくさんあるだろう?」父がそっけなく応える。

姉と、私は、同時に父を呆れて見る。
これから、長い間、ずっと見つめる母の写真だ。どんな写真でもいいわけがない。
とっておきの写真を探そう。母が生きているうちに。

欄間を見上げると、亡くなった祖母や、直接は知らない親戚の写真がある。
母の写真もあそこに納まるのだなと思うと、急に悲しくなった。

帰ろう。私の家族のもとに。

月曜日。まる子ちゃん(小6)の家庭訪問日。
先生が帰った直後、実家より電話が入る。姉からだった。

思うように水分が取れない。点滴をするが、血管がもたず、何度もあふれる。
昨夜、汗をかいたせいか、尿の出も極端に低下した。

「一時のものであればいいが、人が亡くなる前はそうなっていくもの…」
いつも往診をお願いしている医師が言った、と、電話線の向うで、姉の声が低い。

余命は三ヶ月ではなかったか。
年寄りだから、もっとゆっくり日が経つのではなかったか。
だけど。まもなく確実に訪れる死。

三日後…? 一週間後…? 十日後…? 一ヵ月…? 
こういう計算は嫌いだ。頭から振り払う。
その尻から、長女は制服…、まる子は…、などと思いあぐねる自分が呪わしい。

母と…、父と、兄、姉、私。静かに穏やかに迎えたい。自然の摂理のままに。
その時を待つようなことはしない。仕事もしよう。いつものように。

食事の後、私の隣りで、ダンナは新聞を広げたまま鼾をかいて寝てしまった。
子どもたちも、もう二階へ上がった。

何を考えているのか。何も考えていない。
訪れる不幸に酔っているのか。クライマックスを楽しんでいるのか。
はたまた露出狂か…。

どうして…。

こんな日記などに。誰が読むかもしれない日記などに。
誰もが不愉快になるかもしれないことを書いているんだろう。

私は、私の気がしれない…。神さま。そばにいてください。


Sako