京のいけず日記

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2004年01月25日(日) 四畳半襖の下張 支離滅裂

歳三の根付「京の冬の旅」で立ち寄った、八木家前の屯所餅屋(鶴壽庵)で買った、歳三の根付(@350)→

子どもの土産を買う善良な母親のようなフリをして…(いやいや〜。眼つきがしっかり怪しいから、バレバレかも…)

顎に手をあて誰を粛清するかと思案中か?…って、
これじゃ、もの欲しさに指を咥えている子どもにしか見えないよ、ね、カワイイ鬼副長さん♪

どーせ、名前だけでしょ、と、実はちょっとバカにしていた屯所餅。壬生菜を混ぜ込んだお餅に、粒餡で、あっさりめでとても美味しかった。


前の日記「冬の旅」の続き-------------------------

底冷えの京都
角屋や八木家の座敷に座る。

煤けた天井、欄間、襖、障子、隙間風…。
ほの暗い部屋の中で、アホな私の頭の中は MyWorld を展開中

角屋の松の間に膳を並べてみる。
にぎやかな宴会の真っ最中
近藤や土方や芹沢はどこに座っただろう。
上座だからここかな。

土方は、案外、笑顔など浮かべて、
気働きができる管理職のおっさんのように、
ま、お一つ…なんて、酒をついで回っただろうか。

それとも、むっつり、ぽつねんと盃を舐めていただろうか。

場所変わって、壬生は八木家。
芹沢暗殺の夜、土方達が忍足で歩いた廊下、庭…。
暗殺された部屋、ここにかのお梅も寝ていた
平間たちはどこにいたのか

襖一枚隔てた向こう。
人がいて、違う空間がある。息づかいが聞こえる。

何だか、聞き耳を立て、覗き見するようで、すごくエロティックだ。

だから

昔の人は、襖一枚、障子一枚に思いやりを持っていた。

コンクリートの壁や、鍵がなくても、人は自分で線をひける。

他人の目があり、窮屈ではあるが、情緒豊かで、恥を恥とする文化。

たかが襖、されど襖。だけど、襖や障子じたいもなくなって、
あらゆる感覚が鈍くなっていっているような気がします、はい。

…何のこっちゃ。題名と全然関係あらへんって。
でも襖って、人の色ちゅうか、情ちゅうか、なんやすごくエロイねん。


距離感や、空間や、空気はガイドブックではつかめない。
無器用な私は自分の足や肌で追体験してみる。

そして修正する。今までに何度となく読んだ小説も
色を帯び、体温を持ち、また違ったものになって面白い。

もう25年以上も前だけど
多摩川沿いに走る電車にひとり乗った。
また追いかけてみたいな。
幸か不幸か、今度はひとりじゃないけれど…。(ひとりの方が良かったり…する


Sako