京のいけず日記
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2003年11月11日(火) |
誰かのために死ねるということ |
選挙前、どこかのテレビで若者のセッションをやっていた。
「国のために戦争にいくとか、犠牲とかまっぴらです。自分が一番ですよね」 よく耳にする。確かにまっぴらだし、戦争は嫌だ。私ももちろん戦後生まれ、戦争は知らない。その上、若い時から自分至上主義。結果、言いたいことは同じだ。
だけど聞いていて、どこか、お上品で、ファッションで、言葉遊びのような気がするのは何故だろう?私もそうかもしれないが。
争いには理由がある、土壌がある。そういった理由や土壌さえも自分とは関係ない、と考えもしない。…それでいいのかなぁ。
自分のために、と、言いきれる。私は、未だにその「自分」がつかまらない。最近になって、やっと、自分だけにこだわり、生きていくには長すぎる、辛すぎる、もったいない、そんな気がほんの少ししてきた。もちろん、明日どうなるかは分からない。お気楽な想像の上だ。
カッコ悪くても生きててほしかった。でも、戦争屋にならなくて良かったなとも思ったり…。
歳三さん、がんばって線で影を入れてみました。パソコンだとやり直しがきくので楽だけど、カリカリといった、あの音も懐かしいなぁ。
エヘ。けっこう、この歳三さん、気にいってマス♪
自分のためではなく、誰かのために死ねること。好きな男のために、惚れた女のために、手塩にかけた子どものために、親のために死ねること。あるいは自分が信じるもののために…。
誤解があるなら、死ぬという言葉を生きるに変えてみればいい。誰かのために生きること。そういう風に生きて、何かを信じて、死んでいける人生って、他人が何と言おうと、真底、羨ましい。
ダサくても熱く生きたい。
そう単純ではないけれど…。
Sako
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