2006年06月30日(金) |
ワン・ラブ、レイヤー・ケーキ、カポーティ、サムサッカー、ジダン、ファントマ |
※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※ ※このページでは、試写で見せてもらった映画の中から、※ ※僕が気に入った作品のみを紹介しています。 ※ ※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※ 『ワン・ラブ』“One Love” ジャマイカを舞台に、レゲエを手立てに世界に出ようとする ラスタファリアンの若者と、敬虔なクリスチャンの娘が繰り 広げるラヴ・ストーリー。 映画の題名は、レゲエの神様とも言われるボブ・マーリーの 楽曲から採られており、その主人公を、ボブの息子で本人も 歌手が本業のキマーニ・マーリーが演じている。またヒロイ ンは、こちらも歌手が本業のシェリーヌ・アンダースン。 監督は、イギリスのDJ出身でプロモフィルムなどを多数手 掛けているドン・レッツと、同じくプロモ監督のリック・エ ルグッド。脚本はジャマイカ出身のトレヴァー・ローヌ。 物語は、クリスチャンと地元の宗教ラスタファリアンズの対 立を背景に、方やゴスペル、方やレゲエで、賞金2万ドルの コンテストに挑む2人が、宗教や音楽の垣根を超えて結ばれ て行く姿を描く。 といっても、現実にはクリスチャンとラスタとの間にこのよ うな顕著な対立はないそうで、お話には誇張があるようだ。 しかし映画では、裕福なクリスチャンと貧しいラスタとの生 活レベルの違いなどはかなり丁寧に描かれており、このご時 世では、今は楽園でもこれから先どうなるかは判らないとい う印象は受けた。 父親の作品から題名の採られた映画の主人公を息子が演じる といっても、別段父親の伝記という訳ではない。また、正直 に言って、主演2人の演技は、監督の力不足もあるのだろう が、プロの演技と言えるほどのものではない。 ただし、お話自体も他愛ないものだし、言ってみれば現代の おとぎ話という感じの作品でもあるから、そんな作品には演 技も多少ぎこちない方が似合っているかも知れない。そう考 えると、物語にはちゃんと魔法も出てくるし、辻褄は合って いるものだ。 それに、いろいろ出てくる歌唱シーンはさすがに堂々として いて、それを聞くだけでも価値があるとも言える。特にシェ リーヌのゴスペルからレゲエまで歌いこなす歌唱は、聞いて いるだけで気持ちが良かった。
『レイヤー・ケーキ』“Layer Cake” ガイ・リッチー監督の作品を製作者として裏で支えてきたマ シュー・ヴォーンが初監督した2004年製作のイギリス映画。 主演は新007に抜擢されたダニエル・クレイグ。 イギリスの裏社会で麻薬のディーラーとして地位を固めてき た主人公は、仕事から身を退く潮時を考えていた。ところが そこに、100万錠に及ぶエクスタシー(1錠5ポンド)の取 り引きと、大ボスの娘の行方を探す仕事が命令される。それ は、彼にはた易い仕事だったが… 同じような話は、ヴィン・ディーゼル主演でもあった気がす るし、アクション俳優は必ず一度は演じる役柄というところ だろう。それなりに格好よく決められるし儲け役でもある。 また新人監督にとっても、細かい演出も不要だし、こちらも やり易いところだろう。 そして観客も安心して見ていられるという感じの作品だ。 J・J・コノリーという作家のデビュー小説の映画化で、原 作者自身が脚本も担当している。因にコノリーは、2001年に 『ロンゲ・ヤード』を翻案した『ミーン・マシーン』の脚本 も手掛けている。 現実がどうかは知らないが、イギリスの麻薬事情や、アムス テルダムの様子、さらに東欧圏との関り合いなど、興味深い ヨーロッパの裏事情が盛り込まれていて、その辺を見ている といろいろ楽しめた。 登場人物は次々死んでしまうし主人公の命も狙われている。 その意味では殺伐とした話ではあるが、そんな状況を主人公 がいかに潜り抜けて行くか、そこが面白い作品だ。そのため の伏線や策略なども、納得できるように作られていた。 『ミーン・マシーン』も、伏線や策略などの点は納得できる 作品だったから、これは脚本家コノリーの腕とも言えそうだ が、初監督作品としても及第点を出していいだろう。 クレイグ以外の出演者では、コルム・ミーニイ(『新スター トレック』のオブライエン)、マイクル・ガンボン、ケネス ・クラナム、ジョージ・ハリス、ジェイミー・フォアマンな ど渋めのイギリスの映画人に加え、『カサノバ』のシエナ・ ミラーが色を添えている。 なお題名意味は、層構造のケーキ、つまり日本で言う所謂ケ ーキのことで、階層構造の社会では一番上が一番甘いという ことを言いたいようだ。それは甘いだけではないのだが。
『カポーティ』“Capote” 作家トゥルーマン・カポーティが『冷血』を書いた経緯を描 き、今年のアカデミー賞では主要5部門にノミネートされ、 フィリップ・シーモア・フォフマンが主演男優賞を受賞した 作品。ホフマンは映画の製作総指揮にも名を連ねている。 1959年11月15日、カンザス州ホルカムという田舎町で起きた 一家4人惨殺事件。その新聞記事に目を止めたカポーティは 事件に興味を持ち、幼馴染みで、後に発表される『アラバマ 物語』の作者でもあるネル・ハーパー・リーと共に現地に赴 き取材を始める。 当時のカポーティは、『ティファニーで朝食を』で名声を得 ていたが、その作品は図書館の禁書リストにも入っていた。 そんな中で名声を利用するなどして徐々に取材を深め、遂に 犯人が逮捕されると、その犯人とも面会できるようになる。 そして直接犯人を取材する内、カポーティは犯人の一人に共 感し、死刑判決を減じようと尽力することに…ところが彼の 作品は、犯人が死刑にならないと完結しないのだった。しか も朗読会で一部が発表された作品は好評に迎えられ、人々の 期待は高まって行く。 発言を得るためには嘘も吐くし誤魔化しもする。そんな作家 の二面性が綴られる。自分も物書きの端くれであるから、こ の作品のカポーティの姿には大いに共感する。しかし、ここ には作家と言うだけではなく、人間としての悩み苦しみが描 かれている。 実際にカポーティは、1966年に『冷血』を発表した後は、ほ とんど本格的な作品は出さないままアルコールやドラッグな どの依存症となり、1984年に心臓麻痺で亡くなっている。そ の苦しみは尋常なものではなかったということだろう。 そして映画は、その苦しみを共有しようとするかのように、 犯行の様子の再現から死刑執行までのカポーティの心象を克 明に綴って行く。特に、彼が心情を吐露する数々の発言は、 観客の胸に突き刺さるものだ。 主演のホフマンは、少し異様な感じもするカポーティを見事 に演じており、主演賞を実力で勝ち得たことがよく判る。共 演にはキャサリン・キーナー、クリス・クーパー、ボブ・バ ラバンなど実力派が並ぶ。 脚本を手掛けたのは現役俳優のダン・ファーマン。監督は、 過去にはCMとドキュメンタリー作品しかないべネット・ミ ラー。彼らは12歳の時からの友人で、その2人が高校時代の サマー・シアターで知り合ったというホフマンと共に作り上 げた作品だそうだ。
『サムサッカー』“Thumbsucker” 原題には、I am worried about my future,just like youと いう1行が添えられている。 ウォルター・キルンの原作から、1990年代のアメリカン・カ ルチャーの立て役者と言われたマイク・ミルズが脚色、初監 督した作品。僕としてはだから何なの言う感じだが、映画は 普通に見て、将来に不安を抱える思春期の心理を上手く描い た作品に思えた。 主人公は、17歳になっても指しゃぶりが止められない。元ス ポーツマンの父親はそんな息子を叱りつけるし、歯列矯正の 歯医者は催眠術を試したりもするが、彼が本当に抱えている 問題は将来に対する不安だ。しかし大人たちは誰もそんなこ とに気付いてくれない。 そんな彼が、学校での異常行動からADHD(注意欠如他動 性障害)と診断され、抗鬱剤の服用を勧められる。そして、 薬物の使用をためらう親の反対を押し切って服用を開始。そ の効果はみるみる現れるが… 精神病の大半は、精神病医が判断の付かない症例に対して勝 手に付けたものだと言われているようだが、立派な略称を持 つこの病気もそんなものの一つなのかもしれない。しかもそ れに、抗鬱剤、といってもスピードと分子構造が3カ所違う だけという薬が処方され、それを学校の保健室で投与すると いうのだから恐ろしい話だ。 それで効き目が抜群と言うのは、薬の内容から考えれば当然 といえば当然な訳で、これが根本的な治療にならないことも 明らかだ。だから主人公は途中で服用を止めてしまうし、そ れでも問題がないというのが、この物語の言いたかったこと であるかも知れない。 結局、自分の将来なんて親を含む他人、ましてや薬に頼って 決められるものではないし、いくら不安があっても、それを 抱えながら生きて行くのが人生ということだ。そのメッセー ジは、映画のエンディングに明確に示されていた。 僕はミルズという人物をよく判っていないが、アメリカン・ カルチャーを支えてきたと言うことでは、若者の良き理解者 なのだろう。その意味では、この原作の映画化には最適の人 物であったと言えそうだ。 主演は、この作品でベルリンとサンダンスの両映画祭で主演 賞を受賞したルー・プッチ。共演は、ヴィンス・ヴォーン、 ヴィンセント・ドノフリオ、ティルダ・ウィントン(「ナル ニア国」の白い魔女)、キアヌ・リーヴス。それにベンジャ ミン・ブラットが笑える役で登場している。
『ジダン−神が愛した男』 “Zidane un Portrait du 21e siècle” 2006年5月7日にワールドカップ後の引退を表明したサッカ ーのフランス代表選手ジネディーヌ・ジダンの姿を、2005年 4月23日、彼が所属するレアル・マドリード対ビジャレアル 戦の90分間に亙って追った映像作品。 「これはサッカー映画ではない」という宣伝コピーがつけら れているが、映像は本当にジダンだけを追い続け、ボールの 行方や得点経過もほとんど判らない。さすがにジダンが絡ん だ得点シーンはテレビ中継の映像が挿入されたりもするが、 それもほんの一瞬だ。 確かに、この作品はサッカーの試合を写してはいない。しか し、年間20試合以上スタジアムで観戦している者の目からす ると、ジダンの一挙手一投足が試合展開を見事に現している し、その各局面は明確に理解できるように作られている。 しかもその理解が、全てジダンの動きから見て取れる訳で、 そうしてジダンの姿を見ているうちに、感情移入と言うので はないが、何となく自分がジダンと同化している感じがして きたものだ。つまりこの作品は、ジダンを体感できると言う か、自分がジダンになっちゃえる作品なのだ。 そしてその側には、ベッカムや、ラウルや、ロベルト・カル ロスらのレアルの銀河軍団が一緒に戦っている。といっても 彼らの姿はほとんど出てこないのだが、ちらちら見え隠れす る辺りがまた、実際の試合を擬似体験している感じにもなっ てくるものだ。 撮影には17台の高解像度カメラや300倍のズームレンズが使 用され、中で本人は、「試合をリアルタイムで覚えているこ とはない」と語っていたが、作品では見事にほぼ実時間で描 かれている。 従って、1人の選手がボールに触っている時間は、試合時間 の何10分の1と言われるサッカーでは、ジダンがボールを持 っている時間もそれほど長くはないのだが、それでも何度か 登場する華麗なドリブルシーンなどは、これぞジダンという 感じがするものだ。 監督は、ダグラス・ゴードンとフィリップ・バレーノ。2人 は、所謂アーチストと呼ばれる人たちの作品で、映像的にも 優れたものになっている作品だが、僕は1サッカーファンの 目で見て、本当にジダンに同化して素晴らしい体験をさせて くれる作品と感じた。 先に公開された『ゴール』も面白かったが、それよりもっと サッカーの本質を体感させてくれる作品だ。また、中でジダ ン自身が引退後のことに言及している貴重な作品でもある。 なお、本作は今年のカンヌ映画祭で特別招待作品としてワー ルドプレミアが行われ、フランスでは5月24日に公開された もので、日本では7月15日に緊急上映される。
『ファントマ危機脱出』“Fantômas” 『ファントマ電光石火』“Fantômas se déchaîne” 『ファントマミサイル作戦』 “Fantômas contre Scotland Yard” 日本では1965年、66年、67年に公開されたフランス製のアク ション映画シリーズが、3本まとめて再公開されることにな った。公開は8月後半に順次で行われるようだが、試写会は 1日で3本連続して行われたものだ。 物語は、世界征服を狙う希代の悪人ファントマと、それを追 うジャン・マレイ扮する新聞記者、彼の恋人でミレーヌ・ド モンジョ扮する女性カメラマン、そしてルイ・ド=フィネス 扮するパリ警察の警部が繰り広げるアクションドラマ。特に ファントマが変装の名人というのが味噌で、次々に登場人物 に変装しては悪事を進めて行くと言うものだ。 そしてシリーズは、第1作はフランス、第2作はイタリア・ ローマ、第3作はイギリス・スコットランドを舞台に、それ ぞれの土地柄を活かした物語が展開する。特に、第3作では ネス湖が出てきたり、最後は古城にあっと驚く仕掛けまで登 場した。 その他にも、ノートパソコンを思わせるパネル型ディスプレ イの映像装置や、テレパシーで他人を操る武器、スカイダイ ビング、今見るとちょっと懐かしいマジックハンド、それに ポスターにも描かれた翼付きのシトロエンなど、結構先進的 というか、未来的な小道具がいろいろ登場するのも面白い作 品だった。 実は、第1作は多分高校に進学した年の春休みに日比谷スカ ラ座で見た記憶があるが、第2作は見たかどうか記憶が定か でなく、さらに第3作は大学受験の年なので見なかったと思 っていたものだ。 そのシリーズを、少なくとも第1作に関しては約40年ぶりに 再見した訳だが、40年前の記憶というのはこうも薄れてしま うものかと自分でも嫌になってしまった。 実際のところ、第1作では、プロローグでのサインが消えて Fantomasの文字が浮かび出るところや、途中のモンタージュ を作るシーン、それに最後の台詞などは記憶通りだったもの の、その間の繋がりはほとんど憶えていなかった。 それこそ昔見た第1作は、緑の油粘土のようなファントマが 無気味で、警部役のルイ・ド=フィネスはもっとドタバタで 笑わせていた印象だったが、ファントマは無気味というより 殺人も厭わない残忍さだし、ド=フィネスのコメディは案外 ストレートだった。 なお、第2作はタイトルを見てそこだけ記憶が蘇ったが、そ こから後の物語は憶えておらず、第3作はやはり見ていなか ったようだ。 正直に言って、第1作のテンポは今の標準から見ると相当に 緩いが、2作、3作と続けて見て行くと、段々テンポが上が ってくるのが判る。これは連続で見て慣れが生じている面も あるかも知れないが、ちょうどこの頃に映画のテンポが上が り始めた時期なのかも知れないとも思えた。 また、マレイが演じる格闘シーンは、最近のものを見慣れて いるとかなりきついが、逆にヘリコプターから縄梯子を伝っ て降りてきたり、小型機や高層クレーンからぶら下がってい るシーンは、CG無しの生身のスタントだからこれは凄いと 思ってしまうものだ。 なおプレス資料には、全3作を監督したアンドレ・ユヌベル は、SFも撮っていると書かれていたが、手持ちの資料の範 囲では、1961年に“Le Miracle des Loups”(The Miracle of the Wolves)というファンタシー作品があるようだ。他 には“OSS-117”シリーズを3本撮っているものだが、この 点は、もう少し調べてみたい。
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