2005年04月30日(土) |
ライフ・イズ・ミラクル、ワイルド・タウン、HINOKIO、樹の海、マラソン |
※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※ ※このページでは、試写で見せてもらった映画の中から、※ ※僕が気に入った作品のみを紹介しています。 ※ ※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※ 『ライフ・イズ・ミラクル』“Život je čudo” 旧ユーゴ(現ボスニア・ヘルツェゴビナ)サラエボ出身で、 1993年には、アメリカで『アリゾナ・ドリーム』という作品 を撮っているエミール・クストリッツァ監督が、フランスと セルビア=モンテネグロの合作で製作し、昨年のカンヌ映画 祭に出品された作品。 1992年のユーゴ内戦が始まったころの物語。主人公は鉄道技 師でボスニアとセルビアの国境付近の山間の町で、新設され る鉄道工事に従事している。しかし元オペラ歌手の妻と、プ ロサッカー選手を目指す息子は、こんな田舎に住むことに不 満を持っている。 そんなある日、地元の試合で活躍した息子は名門チームの監 督の目に留るが、名門チームからの招請の手紙の前に届いた のは、兵役への召集令状だった。そして、その壮行会の日に 内戦は勃発し、同時に妻は壮行会で出会った男と駆け落ちし てしまう。 こうして、国境の町の鉄道を一人で守ることになった主人公 には、戦争の裏でうごめく連中との問題など、次々にいろい ろな災難が降りかかる。そして戦況はどんどん激化し、彼の 住む家にも砲弾が降ってくることになるが…というお話。 ただし物語は、全体的にはユーモラスに描かれており、戦争 は異なるが、ロベルト・ベニーニの『ライフ・イズ・ビュー ティフル』を思わせる。因に、本作の英題名は“Life Is a Miracle”で、その辺も意識している作品だろう。 と言っても、いろいろ工夫して家族を守り続けるイタリア映 画に対して、本作の主人公はいたって成り行き次第で、それ が巧く行ってしまう辺りは、映画の中に絶対的な敵を置けな い難しさも感じられた。 なお映画は、戦争を背景にはしているが、現実的な戦闘シー ンはほとんど無く、ただ砲弾が落ちてくる下を人々が逃げ惑 うようなシーンを描くことで、非人間的な戦争の姿を強調し ているようにも見えた。
『ワイルド・タウン』“Walking Tall” 1973年にジョー・ドン・べーカーの主演で映画化され、その 後ボー・スヴェンソンに主役を変えて75年、77年に続編2作 が作られた話題作の再映画化。主人公をザ・ロックこと、ド ウェイン・ジョンスンが演じる。 主人公は特殊部隊での兵役を終えて8年ぶりに故郷に戻って くる。そこは、以前は製材業で賑わった町だったが、製材場 は閉鎖され、替ってカジノが町を支える産業となっていた。 そして町にはポルノショップが建ち、若者にはドラッグが蔓 延していた。 その現実を目の当りにした主人公は、正義感に燃えて、町の 浄化のために立ち上がるが… 実はオリジナルは見た記憶が無い。1973年のMGM映画なら 見ていてもいいはずなのだが、何故なのだろう。それはとも かく、オリジナルの主人公は元プロレスラーという設定だっ たようだが、ザ・ロックが演じるのにわざわざ設定を変える というのも面白いところだ。 ただ、オリジナルは実話に基づいて、それなりに主人公にも 痛みが伴うものだったようだが、リメイク版はいたって快調 に勧善懲悪を貫くもので、まあエンターテインメントとして はこれでも良いが、オリジナルを見た人にはちょっと引っ掛 かるかも知れない。幸い僕はそういう立場ではないが。 その点を除けば、マット上での活躍さながらに、悪人をバッ タバッタと倒して行くのだから、ザ・ロックのファンにはこ れで充分というところだろう。因に、オリジナルと異なる片 仮名の邦題は、MGM本社の指示によるという話を小耳に挟 んだ。 『HINOKIO』 軽量化のため一部が檜で作られたロボット。と言っても、S Fに登場するような独立した意識を持った物ではなく、不登 校の少年の替りに学校へ行くだけの遠隔操縦の装置に過ぎな いが…このロボットを通じた少年と小学校の同級生たちとの 交流を描いた物語。 このロボットは、歩いたり、釣りをしたりと、そこそこの運 動能力を持ち、見聞きしたものは少年に伝えるが、声は少年 がキーボードに打ち込んだものが音声合成される。つまり少 年からの意思表示は、すべて間接的に行われる仕組みになっ ている。 なるほどこれは巧い設定を考えたもので、この仕組みなら周 囲に対して心を閉ざした少年でも、ゲーム感覚で現実世界と の接触を行うことが出来そうだ。そして学校では、優等生や がき大将の同級生が、いろいろな思惑でこの「ロボット」と つきあうことになるが… 上記の設定もさることながら、この作品の感心したところを 挙げるのならば、まず、物語が終始徹底して子供の目線で描 かれていることだろう。 この手の子供を主人公にした作品では、どこまで子供の目線 を保って描けるかが勝負だと考える。それに成功した最高作 は、言うまでもなく『E.T.』なのであって、そこでは、母 親の問題など多少は大人の話も出てくるが、ほとんどは少年 の目線が貫かれていた。 しかし、大人の脚本家が物語を作っている以上、この少年の 目線を保つことは至難の技のようで、大抵の作品では、結末 近くなると子供が妙に訳知り顔になって、大人の発言や行動 をして終ってしまうことが多く、がっかりさせられてしまう ものだ。 この作品に関しては、事前にシノプシスを読んだ限りでは、 引き籠もりの問題やいじめの問題が扱われていて、正直に言 って大人の論理がまかり通りそうなものだった。しかし、映 画はそのようなものに陥ることなく、見事に子供の論理で進 められていた。 確かに大人の論理も其処比処に見え隠れはするが、それがス パイス程度に押さえられているのは、さすが『水の旅人』の 末谷真澄と、「アンパンマン」シリーズの米村正二が脚本に 協力した成果と言えるのだろうか。特にゲームを絡めた辺り に巧さを感じた。 以下、ネタバレがあります。 ただ、子供の目線を貫こうとした結果、説明不足の面が生じ ていることは否めない。そのほとんどは、物語上でいかよう にも説明がつくもので問題はないが、一点気になったところ は、ロボットの破壊が自殺を連想させるところだろう。 上にも書いたように、この作品に登場するロボットは遠隔操 縦の装置に過ぎない。この事実は、操縦している少年が一番 判っているはずで、従ってこのシーンは、別の要素によって 重大な事態にはなるが、本来は少年がロボットを破壊した行 為に過ぎないものだ。 しかし、観客にそれを理解させるだけの説明が成されていた かどうか。確かに実験中のロボットとの会話が、実は助手と の会話であることが明らかにされるなど、それなりのシーン は描いているが、このシーンでも別の感覚も描かれていたも のだ。 正直に言って、僕は自殺という行為に対して非常に強く嫌悪 感を持つ。だから、映画の中で自殺を連想させるシーンが登 場することには常に異を唱える。そしてこの作品では自殺は 描いていない。ただこれが自殺でないことを、もっと明確に して欲しかったところだ。 苦言はこれくらいにして、上記以外で僕がこの映画の気に入 ったところでは、ほとんどがCGIで処理されるロボットの 映像は見事なものだ。影の処理などは当然のこととしても、 風景の中によく溶け込んだ丁寧な仕上げには満足した。 それと、子役の中でジュン役の田部未華子の演出には感心し た。特に、最初少年にしか見えない雰囲気から、徐々に少女 になって行く微妙な変化は、監督の演出の賜物と思うが、こ れが第1作の秋山貴彦監督には、次の作品もぜひ期待したい と思ったものだ。 『樹の海』 自殺の名所と言われる富士山麓・青木ヶ原樹海を舞台に、自 殺を巡る4つのエピソードを綴ったドラマ。 上の記事でも書いたように、僕は自殺という行為に対して非 常に強く嫌悪感を持つ。従ってこの試写状を受け取ったとき にも、見るかどうか迷ったものだ。多分、たまたま時間が合 わなければ、試写会もパスしたかも知れないところだった。 しかし映画は、確かに自殺を描くし、自殺してしまう人間も 登場するが、全体は生きることを描いたもので、自殺という 行為を完璧に否定するものとして、納得して見ることができ た。実際プレス資料を読むと製作の意図もそちらにあったよ うだ。 映画は、本来は自殺の意志はなかったが犯罪に巻き込まれて 樹海自殺に見せかけて殺されそうになった男(萩原聖人)の エピソードを狂言回しのように描きつつ、過重債務に陥って 自殺を図った女性を追う取り立て屋(池内博之)、自殺した 女性の過去を検証する探偵(塩見三省)、自らの行為に嫌悪 して自殺しようとする女性(井川遥)、の物語が描かれる。 しかしどれも結末として、希望を見いだし生きようとして終 ることは素晴らしい。 実は、久しぶりに不覚を取ってしまった。最近は擦れて、映 画で泣くことが少なくなってしまったが、こんなことで感動 できた自分が嬉しくなったりもした。 まあ、ここでサッカーネタを出るとは思ってもなかったし、 他の人にはどうという話でもないのかも知れないが、映画の 全体を通しての小さな喜びを大事にしようという思想が、僕 にはここで一番集約されたと感じた。 それは見る人によって別々かも知れない。ただ、この映画に は、そういうエピソードがいろいろ織り込まれている。そし て、それを大切にして生きていこうというメッセージが、見 事に描かれた作品と言えそうだ。 昨年の東京国際映画祭−日本映画・ある視点部門で作品賞・ 特別賞を受賞したことも頷ける作品だった。 『マラソン』(韓国映画) マラソンに才能を発揮した自閉症の少年を描く、韓国での実 話に基づく作品。 自閉症が脳傷害に基づく病気であることは、先日の日本での 調査でも、それが病気であることへの認知度の低さが問題に なっていたが、恐らくそれは韓国でも同じようなものなのだ ろう。ただしこの作品は、そのような問題とは別に、マラソ ンを通じて患者自身が、そして周囲の人々が変って行く姿が 描かれている。 自閉症の患者が特異な才能を発揮するというのはよく言われ ることだが、この作品の主人公は、記憶力は並み以上らしい が特別と言えるほどではない。ましてや、マラソンに特別な 才能がある訳ではなく、逆にフルマラソンでは自己管理がで きないために危険が伴うと考えられるものだ。 しかし少年の母親は、息子に溺愛するあまり、マラソンの才 能があると信じ、息子にマラソンが楽しいものと信じ込ませ てしまう。実はこの作品のポイントはそこなのであって、物 語を単純な美談に終らせていない素晴らしさを持つものだ。 そしてこの母親の盲信的な熱意に支えられて、少年はフルマ ラソン完走3時間以内の記録を達成してしまう。しかもそれ によって、少年の中に確実に何かの効果が表れる。 映画のポスターには少年の笑顔が掲げられている。しかし、 映画の中でも説明されているように、自閉症の患者は感情表 現をすることができず、笑顔などありえないものだ。その自 閉症の患者が笑顔を見せる。それが事実だとすれば、これは 大変なことなのだ。 なお映画では、コーチ役のイ・ギヨンが指導にのめり込んで いく過程がうまく描かれていた。また指導の仕方も判りやす く説明されていたし、特に最後の注意の与え方も納得できる ものだった。これに疑問を挟む人もいるようだが、彼が完走 したことは事実なのだ。 物語がどこまで実話に則したものかは知らないが、映画は韓 国に限らず日本でも社会的に考えなければいけない問題を描 いたもので、この作品がしっかりとした問題提起になってく れることを期待したいものだ。
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