今迄。そしてこれから。



 

ガザの話とか聞いて、3キロ地点での生活を目の当たりにしている友人がいて。

「みんなでご飯食べてふつーに仕事に行きました。
すごく変な感じだった。
戦争してるけど 同時に 生活してるんだよね ってか生活が第一優先
午後も2回爆弾の音きいたけど、みんなもうまたかぁって感じで
誰も気にしない。
イスラエルの人たちは戦争について話すのも 考えるのも 非難されるのも
すべてに疲弊してるんだなって感じます」


という言葉にはっとした。
なんか、私はなにしてるんだろう?って思ってしまった。


もっと色々みたいもっと色々触れたい知り合いたい。
なんて、
もっと。なんて、とても曖昧な言葉。

留学したいって思ってたくせに、実行もできてない。
私はなにを学んできたんだろう?

そう考える。

きっと、いつだったか
今は走っている最中だから考えちゃだめだ。
でも、もうちょっとしたら、考えよう。
って思ってた時期があった。

でも、それは誤りだ。
「いつか」は来ない。

気づいたらこまめに掃除することが、大掃除の秘訣と同じように。
気づいたときに、「いま」やらなくちゃ「いつか」は永遠に来ないんだ。


幸いなのは、
「なにしてきたんだろう?」と考えたときに、
してきたことがあること。
してきたこと故に学んだことがあること。
意外と、まだ3年間だということ。
そして、まだまだと思っていると気づけたこと。
世界は広い。
人も多い。
問題は山積み。
体は一つ。
でも、脳内は無限。


世の中はきっと面白い。
その「きっと」の中身を、一つ一つでも具体的にしたい。


*

昨日、Kな子がうちにきて面接に今朝出発。健闘を祈る!
ゆんたくは楽しかった。
伊江島の民泊の話は特に!
そういうの、面白いって思えるようになったのは、このゼミがあったからね。

そう思える自分が幸せだと思った。


一方で、なんだか泣きたい気分になったのも昨日だった。
TY経済のESを取り合えず出そうと、K子に留守番をお願いしぎりっぎりに電車に乗り込んだ。
締め切り10分前に駆け込み提出。(I倉の分も)

そのいく途中、ここの日記が携帯からでも閲覧可能なことを知る。
グーぐるってすげぇなとか思いつつ、数年前の日記を見ていた。
私には数年前の同じ月日に何をしていたか?をいちいち確認するくせがある。
それがなぜか?なんてややっこしい事は考えないが、気になるから気になるのだ。

自分がどの地点にいるか、気になるんだと思う。


そんで、思わず泣きそうになった日記があった。
なんてことはないんだけど・・・・・。


2003年の2月の日記で、

>いらいらしてしまったのは。
>周囲の想いが疎ましかったから。
>特別視されるのはいけないことではないのかもしれないけれど、
>別に私は万能なわけじゃない。
>今の自分は過去の自分の努力が実って出来ている。
>最初から、問題が解けてた訳じゃ無い。
>最初から、得意だった訳じゃ無い。
>私が今の私を手に入れるのに、へらへらと遊んでいただけだと
>そう思っているのなら勘違いも甚だしい。
>そう思われてるのだと思うと哀しい。
>それなりの代償はとられたし、その分頑張ってきた。
>なんの苦労や苦痛もなく道を歩んで来た訳じゃ無いのに。
>どうしてそんな先天的な言葉で片付けてしまうの。

2003年だから、今から6年前。
きっと中学3年の受験時期の日記だと思う。
だいたい、この日記自体「日記」というよりは、
流れていく時間が怖くて消えていく記憶や感情が怖くて
「記録」するための媒体なんだけど。
それ故に、支離滅裂だったり私しかわかんない、むしろ未来の私ならわからなくなるような文も多い。

だから、こんな文章書いてたことも私は忘れてた。




ああ、昔からがんばってたんだな。

って、思った。
なんか、私っぽい。

Kな子に、「MさえもSにするドMだよね」って昨日言われたけど。

なんか、笑えてきた。


未来は、明日は、きっと明るい。
私が前を向いてさえいれば。


*



まだ二十歳。

勝負のときまであと10年。


*


気づいた。
結局、私にとっての恐怖は、「空白の時間」なのだと。

何かの意味を常に見つけようとして、手にいれようともがいてる。
不安がりの、小心者の、小学生からかわってない。

*

2009年02月10日(火)
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