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■ Dariln'
苦しいことは、わかっている。
「息苦しい」という感情と 「清清しい」という感情。
普段、私は驚くほど前向きなので、「清清しい」 と感じることは多い。 それはふと一人夜道を歩いていて 「ああ、月が美しい」 と一人ごちた瞬間から、もう明日は明るい気がする。
もしくは、書店で出会った雑誌に影響されて 海を隔てた陸に思いをはせてみる瞬間だったり、 帰路に流れる、夕暮れ時の煮物のにおいだったりする。
私は何でもやれる。
そう思っている、そう思っていた10代。 きっとなんでもできる。 でも、その「なんでも」がなんなのかわからない20代。
ココは、刺激的といえば刺激的なのかもしれないけれど、 情報が多すぎる。 現状を結果と受け取る場合に、結果の原因を環境に求めることほど さびしいことはない。 だから、それはすべて私の選択なのだと思い出す。 「私の選択」をするには「私の考え」が必要だと、私は思っている。 考えることを放棄した瞬間に、なだれのように舞い込む情報。
それがこわい。
その日によって未来への希望が変わる自分。 結局は、自分に投資したがりの女の子。
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海外に留学して、勉強して、海で泳いで、笑って、 勉強して、仕事して、恋して、人の役に立って、 恩返しして、母と買い物して、妹と遊んで、 父とお酒を飲んで、姉と旅行に行って、祖母と昔話をする。
なにが悪いのさ。
普遍的な価値を守る職業につけば、普遍的な価値を自分が享受する可能性は低い、と私は思う。 それだけの、厳しい現実。
結局選択は自分にゆだねられるもの。 実存主義をとるならば、人間の形成は「自己」が積み上げていくもの。 だから、人は自由。 自由が故の苦しさをともない、生きていくんだ。
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2009年02月09日(月)
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