4つの季節を重ねながら

2002年12月23日(月) "本物"の持つ魅力

大好きなウッズが手術で、ちょっと悲しい今日この頃。
早く良くなるといいね〜。>まい・でぃあ・タイガー

先日ご紹介した、「KIVOHの森」のサイトをあいかわらず気が向くと眺めています。
なかをちらっと見てみたら、フラクタルだの、入れ子構造だのという言葉が。

うんとむかし、こどものころ、「自分の身体が細胞からできているなら、わたしは宇宙にとっての細胞みたいなものかな〜?」と思ったことがあります。たぶん、本当は細胞なのは太陽系あたりで、わたしはそれよりさらにさらに小さい地球という原子の周りを回る陽子とか電子とか、くらいなんでしょうけど。(笑)

そして、「わたしの細胞がみんな健康で幸せにしていてくれたら、わたしが嬉しいように、わたしが健康でしあわせにしていたら、宇宙も嬉しいかしらん?」と、ぽや〜んと思いました。

わたしはよく「いやなことや悲しいことがあったら、どうするの?」と人から訊かれることがあるほど、物事をポジティヴに、自分にとって嬉しい方向に捉える性質をもっている(笑)のですが、それは、子どものころこう考えたことがきっかけで、できるだけいい側面を見ようとしてきたからです。

べつに、物事をなんでもネガティヴに捉える人は、宇宙を不幸にしているなんて言いたいわけではないですよ、もちろん。人それぞれ、いろんな経験からいまのその人があるわけですから。

小学校のころ、いぢめられた経験があるけれど、それはわたしの側にもはっきり原因があったし、いぢめられたことで学べたことも多くて、そのときのことを自分にとっていい経験だったと思えたことも、ものごとをポジティヴに見るもう1つのきっかけになっているかもしれません。

そんなことを KIVOHの森 を眺めながら思い出しました。


電子デバイスのはなしに行くまえに、もう1つ補足です。
家のメインテナンスについて考えるときに、とても参考になったのは、神崎 隆洋さんの「いい家は無垢の木と漆喰で建てる」です。

帯に「超整理法」の野口 悠紀雄さんが「『無垢の木と漆喰で作った本物は、時間がたつほど価値が出てくる』という神崎さんの哲学は正しいと、日々実感しています」と書いています。

実家の10年目のメインテナンスで、最初に話題になったのは、TV裏の壁紙の汚れでした。建て直したときに、わたしとしては(当時は完全なヨーロッパかぶれだったので)、欧州式の紙でできた壁紙か、せめて布でできた壁紙にしてほしいと思っていたのですが、予算の都合上しかたなくビニールクロスにしたのです。

そして、10年経って、TVと冷蔵庫の裏側は静電気で真っ黒。
母も現役で働いていることもあって、掃除が行き届いていないのが目立ちます。
ところが、漆喰の壁だとこうはならないのだそう。

ほかのモデルハウスを訪れているときは両親に「早く帰ろう」というお子さんが、神崎さんのモデルハウスからは帰りたがらないというのも印象的。

たくさんの写真は特別な紙を使わずに、文章が印刷されているのと同じ紙にモノクロで印刷されているのですが、そんな写真からでもやはり“いいもの”であることがよくわかりますし、建築の素人でもそれがなぜ人間の身体にとって、ひいてはそこに住まう人の健康にいいのかわかるように丁寧に説明されています。

実家のわたしの部屋は妹の部屋といつでも仕切れるように、2つのドアと2つのエアコンがついた広めのスペース。それを結局一度も仕切ることなしに使ってきました。
ところが、狭い敷地に無理やり建てたので、設計の都合上、わたしの部屋のほうが狭くなっています。

当時西洋かぶれだったわたしは、自分の部屋を洋書のインテリア本に出てくる部屋にそっくりになるようにいろいろ注文をつけ、わたしに甘い母は「これがこの子が望むような部屋に住める最後の機会かもしれない」とわたしのリクエストのほとんどをかなえてくれました。

だから、わたしの部屋はほぼ、当時のわたしの理想どおりになっています。

にもかかわらず、部屋ができあがったのを見たとき、わたしは隣にあった3畳ほどの小さな和室が気に入って、自分の部屋の狭さを理由に、「わたしはこの和室に寝るから!」と宣言しました。その和室の作りにはなんのリクエストも出さなかったにもかかわらず、です。

当時、わたしはどうして自分が突然、この和室を気に入ったのか自分でもわかっていなかったのですが、神崎さんの本を読んで、その理由がわかりました。

家の工事を担当した大工さんが、和室にはかなりこだわりのあるかただったらしく、洋室のフローリングは表面だけ薄〜〜〜〜〜い天然木のシートを貼った合板であるのに対して、和室に使われている素材は“本物”なのです。わたしにはなんの木なのか見抜くほどの目はないけれど、木目の美しいよい木を使っていただけたのだけはよくわかります。

そしてやはり人間は自分の身体にとっていい空間を本能的に察するのでしょうね。和室なんて1つもいらないと言っていたわたしが「この和室で寝る」と即座に思えたのはそれが原因だったのだと思います。

実家の周りは昔ながらの一軒家が立ち並んでいるのですが、どこもここ数年でわたしの祖母の世代が世を去って、建て直しの時期に入っているようです。

趣のある昔ながらの日本家屋が建て直されると、たいていはがっかりする造りになってしまいます。お金のない家ではないはずなのに、どうしてこんな家にしてしまったんだろう?とよその家のことに余計なお世話ながら思うことがありますが、使われている素材の問題だったのだなぁと、この本を読んでようやっとわかりました。

1つ1つ歳をとるごとにいろいろな経験を積み重ねていった人が若い人間には持てない深みのある魅力を持っているように、やはり時間がたつほど味わいの出てくる(または出てくるであろうポテンシャルを感じさせる)ものが本物なんだな〜と思う次第。

問題は、家中の構造や家具をすべて無垢の木で作ったら、いったいおいくらになってしまうのかしらん???という部分ですね。わははは。(^o^;;

実家の敷地だといくらくらいで3階建てができる(敷地の狭さゆえ、3階建て必須 (;_;))のか、だいたい把握したら、それが今後20年くらいのうちにわたしが稼ぐ目標金額ということになるのかな。そしたら将来実家に住むのが妹になったとしても、そのお金でマンションくらい買えるだろうし。



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