モリハルゆ記

2009年02月28日(土)

 立川に向かうため、甲州街道(ルート20)を愛車“921子”で走っていたら、笹塚では雨だったのが次第にみぞれになり、調布あたりで雪になった。



 コルトプラス“921子”の足回りはノーマルタイヤ、タイタチェーンも積んでいない状況だったのだが、ワクワクしてきた。風雨雪系の天変地異は、不謹慎ながら、どうしても心が躍ってしまう。「積もったら雪だるま作って娘の唯ちゃん喜ばそう!」なんて計画しちゃう。反面、地震はかなりビビッちゃうんだけどね。

 モリハルが小学校4年のとき、4月に大雪が降った。母方の叔母さんが翌日に結婚式を迎えている日だった。大雪と翌日の結婚式参列でアタフタしたのか、商社に勤めていた父親が仕事中に、当時爆発的ブームの予兆があったボーリングのボールを自分の足に落としてしまった。だが、大正生まれの父親は仕事をこなし、結婚式も出席し、引き出物を自らの手と足で運んできた。その翌日、腫れ上がった足を引きずって病院に行くと「右足の親指、複雑骨折してますね。入院しましょ」と診断された。さすが大正生まれ!

 入院した病院はモリハルの通っている小学校の隣にあったので、毎日父親に会いに行ったのだが、いやぁ楽しい記憶しかないな。同室で入院してたタクシーの運転手さんが将棋巧くて、父親相手では不満だったモリハルに色々指導してくれた。土日は入院患者の食事が店屋物になり、そのとき父親から分けてもらって、生まれて初めて天丼を食べた。看護婦さん(当時は看護師ではなかったね)は優しくて、天使のように父親とモリハルに接してくれた。なんだが、「雪がくれたご褒美だぁ」って思ってしまった。

 その父親が69歳で他界し、一人埼玉で暮らしていた母親の許へ、前妻と別居したてのモリハルが住み着いたときだ、また首都圏に大雪がやって来た。東武東上線のパンタグラフに雪がへばりつき、送電線と接触しなくなってしまった。実家までの駅は、あと四つという所だった。

 駅員に詰め寄る人を尻目に、モリハル歩き始めたよ。その道中、これまた楽しかったなぁ。一緒の方向に歩いているスーツ着た人に、「何処までですか?」「ありゃ〜、それは遠い!」なんて会話したり、身内を迎えに行く途中の車がスタックしているのを助けたり、大雪の中賑わっているラーメン屋さんでビールとラーメンすすったり、なんだか水戸黄門になったような気がした。

 立川に着くと、幸いというか残念というべきか、雪は全く積もってなかった。帰りの道中、何故だか気分が沈んだが、アン・ルイスのCDを購入し、今川焼きを買い食いして盛り上げた。「雪に対して、過度な期待はしちゃイカン!己の道は、己で切り開かなくちゃならんのだ!」なんて、反省しちゃったよ。Come come snow !


 


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