2004年10月25日(月) |
俺と一緒に行かないか |
きのうのフォントで遊んでるやつ、点取り占いみたいだなーと思った。 >>こちら点取り占いサイト様。昭和シュール。大好きです。
暫定的にカーウァイファンサイト化…すみません… 摂氏零度も今日やっと注文したぜよ…あの映画は自分の中じゃしっかり完結してるんでカットされた部分とかそこまで知りたいわけじゃなかったけど…やっぱりもーこの写真だけでマジヤバ失禁もんですよガクガク……しかしいくら57分とはいえこんなマニアならいくらでも払うよーなもんが2000円で買えるなんて……なんかおかしくね? アマゾンもはや菩薩です。
なんか昨日2046についてウダウダ書いたけど、想像したのと違うなぁというのが一番のネックだったんで、書き終えてから「私は事前の情報にとらわれすぎていたな!」と反省した。いやそれほど反省してもないが。 それでグダグダ考えなおし、もういちど頭の中で編集しなおしたら意外といい話になった…!!すごい自分勝手な解釈だけど… そりゃ感性で捉える映画かもしれないけどさ、属性がオタクだからいろいろ考えたくなってしまうのよ!
というわけで、勝手に2046のあらすじを自分で勝手に削ったり妄想で水増ししたりしつつ解説を加えながら説明したメモ。 ※一般的に重要視されてるシーンとかぶっ飛ばしてるので全然正しくないと思います…あと忘れたり勘違いしたりもしてると思います… (ネタバレ反転)
1960年代。かつて夫ある人を好きになってしまった主人公チャウ。その不倫事件のほとぼりをさますために行ったシンガポールでの記者生活から2年、香港へ帰ってきたものの、官能小説家に身を落とし、毎晩女と遊ぶ堕落した毎日である。 そんなある日、シンガポールでの生活中に出会った女ルルに再会する。しかしルルは自分を覚えていない。その晩、酔いつぶれたルルをホテルに送ると、彼女が借りている部屋番号は2046であった。2046はチャウが以前不倫の密会のために借りていた部屋番号でもあり、それを思い出してセンチメンタルな気分になるチャウ。後日ルルに会いに行くと、オーナーは彼女はいなくなったと言う(じつは恋人に刺し殺されたのだが)。チャウは2046号室に住んで同名の小説を書きたいと思い、オーナーに申し出るが、2046号室は改装するため、当分の間2047号室に住むことになる。
その後2046号室が改装されても、チャウはなんとなく2047号室にとどまる。2046号室にはオーナーの娘・ジンウェンが入り込んでこっそり日本語の勉強をしている(勉強というか、ブツブツつぶやいている)。かつてジンウェンは日本人の恋人と別れさせられ、別れ際に「一緒にこないか」と聞かれてなにも答えられなかったのを苦にして「行きますか、行きましょう」とロボットのように唱え続けている。すこし気が触れていたジンウェンは、やがて入院することに。 そしてチャウは近未来恋愛小説である小説「2046」を書き上げ、それなりに売れるが、やはり官能小説家を続ける。(※「2046」の内容がどうも曖昧。周囲の人物が出てくるという割に映像は未知の人物ばかり。たぶん以前の不倫、シンガポールでの出会い、ホテルの娘ジンウェンあたりがモチーフだと思うけど)
そのうち2046号室に新しい住人があらわれる。ホステスのバイリンだ。バイリンは一緒にシンガポールに行くはずだった恋人に捨てられ、常夏のシンガポールで着るはずだった夏服を冬でも着ている。クリスマスの寂しさからチャウと遊びの関係を持つが、バイリンはしだいに本気になる。2046号室で彼女と関係を持ち続けるが、チャウは本気になれず、「貸しを作りたくない」などとこっぴどく振って終わり。
オーナーの娘ジンウェンが病院から戻ってくる。ジンウェンには頻繁に日本人の恋人から手紙が来るようになる。父親に見つけられると捨てられるというので、チャウは手紙の受け渡し役になる。チャウが小説家だと知ったジンウェンは、自分は武侠小説(いわゆるチャンバラ時代劇)が好きで、趣味で小説も書いていると言う。それが予想以上にうまかったので、チャウは彼女を秘書にする。ジンウェンと一緒にいるうち、しだいに彼女への思いがつのるチャウ。(※こんどは自分の部屋「2047」でプラトニックな愛であるため、「2046から出てきた」という意味になるのだろうか?) 彼女も明るくなり、金をためるために父親に内緒で仕事を世話してほしいとチャウに頼んでくるようにもなる。 クリスマス、チャウはジンウェンをデートに誘うが、逆にジンウェンの日本の恋人への強い思いを知る結果となり、出版社から日本人の彼に電話させる。そして彼女は、自分で稼いだ金で日本の恋人のもとへ旅立つ。
日本に旅立つ前にジンウェンから、自分と日本人青年の恋愛をテーマに「2047」を書いて、と冗談めかして頼まれる。チャウは日本人青年の心情を想像して書くにつれ、それが自分のジンウェンへの気持ちになってしまっていることに気づく。 小説「2047」で、ジンウェンはアンドロイド。舞台は2046から脱出する列車。2046から出てこられる人はめったにいない(※日本人青年が初めてらしいけど…)。出てくる時に怪我をすることもある(※心の傷の暗喩?)。日本人の青年はずいぶん長い間この列車に乗っている(※主人公自身が長い間過去の恋愛から抜けられないことの暗示?)エリア1224ー1225(※クリスマスの暗喩)は寒いから相手が欲しくなり、添乗員であるアンドロイドと暖めあうこともある。青年はアンドロイドに「きみに教えたい秘密があるんだ。俺と一緒に行かないか」と誘う(※秘密は何ぞや。過去の不倫のことか?)。しかし長い時を経たアンドロイドは壊れかけているので(※精神が壊れてたことの象徴?)感情がうまくはたらかない。何時間も後になってからようやく涙がでるのだ。そのため、青年の問いにも答えられない。 しかしここにチャウの心情が入ってくる。アンドロイドが応えなかったのは壊れているからではない、他の男を愛していたからだ、と思ってしまう。
ジンウェンの父親はついに娘の結婚を認めることにし、結婚式のために日本へ行くと言う。そしてジンウェンから「2047は最後が悲しすぎるからハッピーエンドに書き直して」という伝言を預かったと言われる。チャウは書き直そうとするが、どうしてもハッピーエンドが思い浮かばない。彼自身が壊れたアンドロイドのように、ペンを握ったまま何時間も動けなくなってしまう。 そうするうちにバイリンから電話が来て、シンガポールに行って仕事がしたいからチャウに保証人になってほしいと言う。チャウは快く手伝ってやる。バイリンはチャウを愛していた、クリスマスにはチャウに会いたくて思い出の店を覗いたりもした、などと言いはじめる。そのあとバイリンは「貸し借り説」を持ち出すが、チャウは以前に自分で言ったその説を否定する。
(このへんでおわっていいとおもう!) (スー消してごめんなさい…)
こうやって考え直した結果、ひょっとしたらこの映画、「2046」という名の過去から傷つきながらも脱出する話であり、欲しい愛は得られなくても「2047」という現在にたどり着いてすこしだけ俺は変わったよという話なんじゃないのー!?と興奮しました。そうだったらいい…!そうだったらすごく好きだ…!いや、妄想だけれど…!
まぁでもこの「愛が終わって片思いは実らなかったけどちょっと自由になった」という展開、ブエノスアイレスとまるかぶりですけどね…好み丸出しですよ…なんか1960年代である必要がまったくないし…
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