ほんとね 真面目に心身共に疲れてました。 毎日自分の家 部屋に戻るのって深夜で もうケータイのメールにお返事する気力もなし テレビつけこともなければ PCだって立ち上げられない。
またやったのか? また入ったのか?
とね
まぁ事実そうゆわれたのだけど 怪しい言葉だけれど わかる人にはわかるみたいな。
だけどそういうのは一切事実無根です!
なーんにもしてないってば。
まぁ何度も身内に「キチガイ」呼ばわりされたけど ある意味そうなのよって開き直ってみた。 だからお薬飲んでるんだし 精神科に通ってるんだし。
心の病気も頭や体の病気も 極端に言えば他人にはわからないものだもの。 手に包帯巻いてたり 松葉杖ついてたりすれば 見ただけで ケガしてるのねって 「ここがね 痛いの」なんていわなくてもわかってもらえる。
身内だろうが恋人だろうが友達だろうが やっぱりもえ自身も 見えない人の中身の痛みや病気は 気持ちだけわかってるつもりになってても わかってなんかないんだし。 ましてや痛みなんて 自分がそうなってみなきゃわかんない。
小学校で転校して今の地元にくるまで住んでたとこに 子供の足でも徒歩で数分ってとこに ○○病院っていう いうなれば精神病院があって コンクリートの病棟の側には田舎の学校みたいな 小さなグランドがあって でも背の高い金網様なフェンスで区切られてた。 決してその敷地にははいることはなかったけど 金網越しにそこに入所また入院してるひとたちと 何度も遊んでもらったりお話したり お人形もらったりしてたこと思い出してた。
親がいうには「キチガイさんがいるところ」だったらしい。 小学校に上がる前のまだ幼い自分には お友達なんだけどその囲いから向こうは別な怖い世界だと 無意識に親から叩き込まれた差別的意識があった。 とにかく○○病院ってところは 当時のもえにとっては悪いことしたら おまわりさんに連れていかれるってことよりより 恐ろしい場所だったのは確か。
悪いことして親に叱られるとき 決まって 「言うこときかない子は○○病院にいれてしまうよ」 だった。
その頃は今みたいな知識はなく グランドに出て金網越しにでも 外の世界の人と 交わりが持てるのは閉鎖病棟ではなく ごく軽い病気や障害持った人たちだったんだと思う。
少し大人なおねーさんやおにーさんくらいな年の人もいれば 両親世代の人もいた。 じーちゃんばーちゃんのような人もいた。
そこは恐ろしい場所なんだと偏見や恐怖を持ちながらも ある意味金網越しに遊んでもらう人たちは もえにとっては特殊なお友達なんだったと思う。
暑い季節に一度 そこの小さなグランドで 盆踊りみたいなことしてたのを見に行った記憶もある。 だけどその場所に足を踏み入れたことはなかった。 まったく違う世界だったのだから。
現在その病院があった場所は なんとか医療法人で 老人福祉施設みたいなところにかわってる。
昨夜も実家でいろいろ親やねーちゃん交えて口論になって 夜中までいるはめになったけど そのとき 「キチガイ」って言葉がだれかから出て その病院のことふいに思い出した。
そして今日の午後 電話で母親とかなりな口喧嘩みたいなことになって あんたみたいな子はそのうち精神病院からでられないような 人間になるから そうなってもだれも面倒見てくれへんって。
先のことはわからないけど まー自分ひとりで生きていけるようにはなんなきゃなーって 改めて思ったのでした。
そんな感じのここ数日。
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