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2002年02月06日(水)
どうやら小野不由美の「十二国記シリーズ」が四月からBSTVでアニメ化されるらしいと云う情報を耳にした。
「十二国記」は、ホワイトハートと講談社から発行されている、異世界ファンタジー物語の事。これを知ったのは中学生時代で、山田章博の細やかな絵に惹かれつつも無駄に小難しい文章(主に使用漢字)に四苦八苦したのを覚えている。
にしても、アニメ化ねぇ…。
何か感慨深いモノを感じてしまう。
まぁしかし、最近は原作とアニメ、もしくは映画など。オリジナルとコピーは似て非なる別物として捉える事にしたので気にしない事にしてみる。
原作と○○化(映画・アニメ・ドラマ・漫画・小説・etc)された作品は比較される運命にあるのが避け難い事であることは重々承知しているが、最近はそれにある程度以上の価値と意味を見出せない今日この頃を過ごしている。
何故か、「昔は良かった」とか無意味な愚痴をこぼす懐古主義者と、それら(主にコピーの方)を否定(批判)する者の姿がダブって見えるからだ。
以前、とある音楽教師が良い事を言っていた。すなわち、 「音楽とはその場所・その時限りの、一時性の芸術である」
つまり、「楽譜」「楽器」「言葉」の状態である、音楽では無い物を、演奏する事によって初めて、それが音楽足りうる、と云う事。そしてそれら自体は同じであっても演奏する人や、場所や、状況によって変化し、まったく同じなモノは存在しない。と、云う意味らしい。
しかし、これは音楽以外の対象でも云えるだろう。 例えば、原作が「楽譜」であり、○○化が「演奏」 例えば、原作も○○化もひとつのテキストとして捉えれば両者が「楽譜」となり、それを鑑賞する私が己の中で自分なりに見聞したものを解釈する事を「演奏」と捉える事が出来る。
うーんちょっと展開が強引過ぎるような気がしてきた…。 以上の戯言に、だから何なのだと問うなら、取り敢えずこう答えよう。
「要はそれを楽しめれば良いのよ」
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