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2001年11月01日(木)
アタシが蓮の華が好きになった経緯を書こう。
仏教では蓮の華は聖なる花とされている。 ちなみに、アタシの母は一時期立○佼成会と云う仏教系の新興宗教にハマっていた。アタシは「宗教」否定派なので例えクラシックなモノであれなんであれ、信仰心など欠片も無いが、神学的・物語的「神」については興味があるのでその母の宗教の月刊冊子をパラパラと斜め読みだけしていた。
その中に、こんな感じの文章がアタシの目に留まった。
「蓮は、泥の中から生まれます。自然は、泥の様な汚いモノの中からあのように美しい華を咲かせる事が出来るのです。 同様に、私たち人間は欲や憎しみなどの醜い感情も持っていますが、その中から蓮の華の様に美しく、精錬潔白な、愛や信仰心の様な感情を持つ事が出来るのです。」
アタシの稚拙な略し方ではピンとこないかもしれないが、これを読んだ当時のアタシは、いたく感動したのを覚えている。
アタシは自分の事が好きじゃない。 自分の奥底にあるドロドロとした感情が厭で堪らない時がある。
でもその醜いアタシの中から、たったひとつだとしても、蓮の花の様に美しいモノがあるのなら。。。 アタシはその時から、自分の中で厭な感情が芽生えた時にはタールみたいに汚らしい沼のイメージを創り、その中から綺麗な蓮の花の咲く情景を想い浮かべて気持ちを落ち着かせる様な習慣を作った。 効果はまぁまぁ。 でも、無いよりは遥かに楽だ。
だから、アタシは蓮の花に特別な感情を抱いている。
ところで、上とはあまり関係は無いが、三谷幸喜の作品で「君となら」と云う劇がある。 この副題は、「Nobody else But You」(ちょっと綴りには自信がない)
全てを否定してから、個を肯定する。 それ故に、個が際立つ。その姿は美しいと思う。
個が美しいのではない。多分それは、集合の中では何の変わりもない、平凡なモノだろう。 全体から唯一ひとつに選ばれて初めて、それは輝くのだ。
と、そう想う。
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