同じ空の下で。
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2003年11月15日(土) |
愛国心教育について考える。 |
本日は、PTA主催のボーリング大会でありました。 えぇ、一番若手のワタクシは、もちろん教員チームとして 狩り出されまして、、行って参りました。 どうも、たけです。恥ずかしいのでスコアーは言えません。。。
と、いうことで、本日のテーマは微妙に重いですな。。 まぁ、興味が無い方は、お飛ばしくださいませ。
今日の日本の教育において、この「愛国心教育」というのが 頻繁に議論にあがります。 と、いうのも、国の方針として教育の中に国を愛し文化を愛し、、、 なんていうニュアンスのものを入れているからです。
それらを愛する人間を育てよう、愛国心を持たせよう なんて事なんですが、、、、、、、
どうですかね?これ。
僕の意見を言わせてもらうと、、 「愛国心」っていうものは、育てるものじゃないと思うんです。 というか、私たちはすでに「愛国心」を持っているものだと思います。 ただ、それが表に出ていないだけで、心の奥には必ずあるものだと。 まぁ、もちろん例外はあるでしょうけれど。。。
それが、心の奥から顔を出すときというのは、 何か、比較するものが存在する時だと思うのです。
例えば、スポーツ。 みなさん、日本代表を応援しますよね? 今、行われているバレーボールもそうですし、サッカーももちろんそう。 相手がいることによって、私たちは日本という国を応援し、 勝利に喜び、敗北に悲しむんだと思います。 これなんか、一つの愛国心だと考えることもできましょう。
また、海外なんかに行くと感じることですが、 あちらの人々には、私たち東洋人の国籍など判別できません。 旅行ではなく、何週間でもいいのであちらに住んだことがある人は、 納得していただけると思うのですが、 少なからず、「自分は日本人」なんていう認識を持つと思うのです。
日本の事をバカにされたりすると、異様に腹が立つのも 「自分は日本人」という認識があるからだと思うのです。 もちろん、まずは「自分は自分」というものがあって、 その次に来るものだとは思いますけどね。。
日本のことをバカにされて腹が立つ。 愛国心があるからですよね?たぶん。。。
なんていう感じで、愛国心っていうものは、 教育するものじゃなくって、すでに持っているもので、 別に、それをクローズアップして改めてやるものでもないと思うのです。
どーーしても、やりたいのなら、、、 それは、「育てる」という方向性ではなく「気づかせる」という方向性 なんじゃないかって思ったりしたり。。。
っていうか、「愛国心」っていう単語の響きやら見た目が あまりよろしくないなぁーなんて感じるのは、 きっと僕だけじゃないですよね??
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