同じ空の下で。
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2002年06月19日(水) |
ワールドカップの奥。 |
フットボールはよく戦争に喩えられるけれど、、むかしは、なんとなくその 意味が理解できても、それは表面上だけで、詳しくはよく分からなかった。 というよりも、わかる機会がなかった。 今回のワールドカップを日本国外で過ごし、 それの意味が分かったような気がする。
日本の敗戦をうけて、新聞紙上には 「感動、ありがとう、よくやった、惜敗」
確かに、それはそうかもしれない。 でも、もし、日本が勝って、韓国が負けたら、 韓国の新聞に、そんなことは乗るだろうか?? 恐らく、Noであるとおもう。
イタリアに勝った、韓国の反応は、、 「日本に勝った」。。。 それって、変だ。戦った相手は日本じゃないでしょう。 でも、事実、そうなのだから、これが韓国の感情なのだと思う。 それが、彼らにとっての誇りであり、アイデンティティーなのであろう。
フットボールの母国であるイングランドでは、 いまだに、「5ー1」という数字がよくあがる。 いわずと知れた、欧州予選での対ドイツ戦(しかもアウェー)である。 彼らにとって、この結果は政治的歴史と同様に 今後も永遠と語り継がれる歴史的事件であり、 彼らの、誇りとなるものであろう。
日本人のイングランドファン。 僕自身、否定はまったくしないし、ファンでもある。 しかし、こちらの人から見れば、すごく不思議に写っている。 それも、そうだ。 自分の国が戦争に巻き込まれているときに、 他国の応援をしてどうするといったものだと思う。 しかも、その国が、もしかしたら敵国になるかもしれないのにだ。
イングランドの敵国である、イタリアが負けた日、 ある新聞では、韓国が勝った、、のではなく、 「我がライバルが負けた、これで優勝の可能性があがる」 そう、語っていた。
以前のワールドカップで、コロンビアの選手が射殺されたこともあった。 自殺点をしてしまい、それが理由で負けた。 国にかえった彼は、ファンに撃たれたのであった。
前回の大会のべッカムの件は、周知のことであろう。 「10人の勇敢なライオンと、一人の愚か者」である。
自分の国を応援する。 ピッチに自分で立てない以上、自分の国を代表する選手たちを 必死で応援する。 勝ち負けで、一喜一憂する。 これが、スポーツの楽しさだとおもう。
しかし、その奥にあるものは、 自分の国が勝つことで、自分の国に対して誇りが持て、自慢できる。 それが、自分の誇りにもつながってくる。 イギリス人、ドイツ人を始め、、、、、、 いろいろな国の人間を見ていると、本当にそう思う。
韓国人の知り合いに、「コングラチュレーション」という言葉を 発した自分がいる反面で、 「韓国、おめでとう、感動」などという新聞の見出しに 同調する気持ちにはなれない自分もいる。
悔しいからにほかならない。 他国のことよりも、日本が負けたことが悔しいから。
いろいろな国の人間がいる中ですごしたワールドカップ 今まで味わえなかったことを味わえることができた。
って、まだ終わってねーけど
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