同じ空の下で。
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今日で、日本人が本当に熱狂できるワールドカップが終わった。 良くも悪くも、日本を代表した23人は頑張ったと思う。 ただ、プロである以上、彼らを始め、日本のフットボールを背負っている 600人のプロ選手は、このワールドカップから何かを感じ、 そして、今後の日本のフットボール文化へと還元せねばならない。 それが、今、彼らに与えられている仕事であり、プロとしての責任 のように思える。
なぜなら、日本のフットボールは今日で終わったわけではないからである。 今後、世界がなくなるまで、ずっと、フットボールは生き続ける。 たとえ、自分の命が消えようとも、フットボールの炎は決して消えることはない。 10年後、100年後、2002年が日本の第一歩であったと記憶されていれば それは、今回のワールドカップの成功を意味する。 そして、いつの日か、あの歴史が詰まった金色に輝くトロフィーを日本代表が 何億万の視線が集まる緑色のフィールドの上でかかげることを切に願う。 あわよくば、自分の目でそれを確認したい。
日本が戦っている間、自分も自分の目標の過程で苦しんでいた。 そして、何かの縁なのか、日本のワールドカップが終わった今日、 自分に課せられていた物も、一通りの区切りをつけることができた。 開放感はある。おそらく、彼らにも少なからずあるであろう。 しかしながら、満足感はそこにはない。同じくして彼らにも無いであろう。 それが目標を追うものの姿であると思いたい。
短いブレイクに入る。 日本の試合をこのワールドカップで見ることはもうできないが、 日本の全選手と同じように、ブレイク中に次の段階への鋭気と鋭視を 整えることはできる。
ゲームをしているのではない。 決して、終了のホイッスルなどは 聞こえてこない世界に身を委ねているのである。
最後に、同じ空の下で頑張っている彼女へ。 テスト、そしてレポート期間中は、寂しい思いをさせたでしょう。 ゴメンという言葉と共に、ありがとう。
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