思いつき日記
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2001年12月19日(水) 過去

#ダチョウ

食用肉にダチョウが脚光を浴びているそうな。赤みで脂肪が少なく、健康に
いいそうだ。ダチョウを食用かぁ…アフリカ原産だけあって環境適応能力に
とてもすぐれていて飼育しやすいそうな。にしてもダチョウ。卵が巨大な。
狂牛病流行が推進の一端をになっているらしい。

飼育者は目がくりくりして可愛いとか言っているそうで。食用の動物飼育。
私に飼育は無理だな。不細工だったとしても、知能指数が足りなくても、
言うことを聞かなくても、愛着が生まれてしまいそうで。別れが辛すぎ。

ダチョウって言えば、確か足の速い動物だったと記憶しています…
という事で、小学生のころの話。
運動会につき物の、リレー競走。私の小学校は、地区対抗リレーといって、
その地区の全学年の代表一人ずつ選ばれ、競走するというのがありまして。
その地区のなかにもAチームBチーム分かれます。
私は幸か不幸か足が速かったのでいつも選ばれていた…

まあ今日はその中でも私が一年生の時の話。
先輩に(六年生)一人だけずば抜けた速さの人がいまして。
まあ、その人のあだ名は「チーター」。ルックス抜群、スター。Aチーム。
私と同じチーム。仮名M君。

同じ地区Bチームの六年生に「ダチョウ」っぽい走り方をする人がいまして。
O君。背が異様に高い。当時170センチくらいあったと思われる。
その人を思い出したって事が言いたかっただけですが…話は続くのであった…

私たちのAチームはM君がいることだし絶対的優勝候補でした。
優勝するとメダルがもらえるということもあり気合十分でした。

私は一年生なので第一走者。お昼ご飯の後、メインのこの競走が始まる。
午前中に行った予選はダントツの一位。楽勝だった。
空にはそれまでのカラッとした五月晴れから一転、雲行きが怪しくなりだし
ちょっと嫌な感じになってきていました。このあとの展開何となく読めそう?
私はジャンケンで負けて一番外側のコーススタートになってしまった。
私結構ジャンケン強いのですが…誤算だったな。

スタート。この頃は強引だった、天上天下唯我独尊だった私は、自身満々で
無理矢理インコースへ。強引過ぎたためか、誰かに足をもつれさせられ、転んだ。
一気に最下位。泣きたかった。悔し涙をこらえて走り出す。

ちなみにこのとき擦りむいた傷が未だに残っている。

優勝候補の我がチームといえど上級学年にいっても私で離されたリードは
埋まることはなく。とうとう最終走者へとバトンは渡されていた。
トップを独走するのはO君のいる我が地区のBチーム。
M君にバトンが渡った。祈るような気持ちで応援する。
一人抜いた。また一人抜いた。まさしくチーターのように疾走するM君。
大歓声。「抜いてくれ」私の心の叫び。いや魂の叫び。他力本願。
しかしあと一歩足りずにO君ゴール。すぐあとにM君。二位。

泣いたね。悔しくて。しかしM君のこの一言が効いたね。
「おまえはよくやったよ。」何一つ責めるような事は言わなかった。
彼はもう最後だったのに。それを考えるとより一層泣けた。

カッコよすぎ。今どうしているのだろう彼は。

私の右腕についているこの傷を見ると思い出す。
あれ?ダチョウの話がなんだか昔話に変わっていたよ。てへ。


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