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2018年02月05日(月) 稲嶺氏は基地問題“だけ”を話してたから負けた。

名護市長選 渡具知氏が初当選 移設反対の現職破る(毎日新聞 2018.02.04)

名護市長選 「辺野古、はぐらかされた」稲嶺氏声振り絞り(毎日新聞 2018.02.05)

米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の名護市辺野古への県内移設計画に
20年余り振り回されてきた名護市民は、悩み抜いた末、
経済振興の必要性を訴えた新人を選んだ。4日に投開票された同市長選は、
安倍政権が支援した新人で元市議の渡具知武豊(とぐち・たけとよ)さん(56)が初当選し、
2期8年にわたって「移設ノー」の旗を掲げてきた現職の稲嶺進さん(72)は
政府・自民の総力を挙げた戦いの前に崩れ落ちた。

「残念ながら辺野古移設問題が争点となりえなかった。
経済も教育も福祉もすべて平和、安全、安心あってのことだと強く訴えたが、はぐらかされてしまった」。
4日午後10時半ごろ、稲嶺さんが事務所に入った直後に「落選」の一報が入った。
静まり返った会場で取材のマイクを向けられた稲嶺さんは、
時折言葉を途切れさせながら声を振り絞り、会場からはすすり泣く声も漏れた。

 続いてマイクを握ったのは、二人三脚で選挙戦を戦った翁長雄志(おながたけし)知事。
神妙な面持ちで「名護市の発展は、オスプレイが飛び交うところに成り立つわけはない。
そのことが争点外しで理解されなかった」と声を落とし、足早に会場を後にした。

 保守と革新が手をつなぎ、政府が進める辺野古移設に反対していく「オール沖縄」勢力。
その先頭に立つ「ツートップ」が稲嶺さんと翁長知事だった。

 稲嶺さんは2014年1月の前回市長選で再選を果たしたが、
政府は同年8月に辺野古沿岸部のボーリング調査に着手。
昨年4月には埋め立てに向けた護岸工事が始まるなど辺野古の海が変容していき、
市民の間に「もう移設工事を止められないのでは」という
あきらめに近い声が出始めた中で迎えた市長選だった。

 それでも稲嶺さんは「今の名護の置かれた状況からすると退くわけにはいかない」と出馬を決めた。
選挙戦では「政府の強い圧力に屈せず頑張ってきた。次の世代に負の遺産を残してはいけない」と強調し、
政府への対決姿勢を鮮明にして支持を訴えたが、
「あきらめてはいけない」という思いを市民の多くが共有するまでには至らなかった。

 一夜明けた5日、稲嶺さんは市内の小学校の通学路に立ち、
日課としている子どもたちの登校の見守りに参加した。
子どもたちと笑顔でハイタッチした後、報道陣を前に沈痛な表情で語った。
「海をつぶし、基地が来ると、今学校に来るような子どもたちが被害を受けることになる」




こういうことを言っている左派系が多いんですけど

敗因を分析しないとダメなんじゃないかと思うわけです。

名護市でも基地移設反対の声は強く最大の争点だったように

出口調査によると渡具知武豊氏に投票した人でも

基地が辺野古に移設されることを反対する有権者も多かったようです。

でも、まずは地域経済の活性化や子育て支援、

下水道の整備やゴミの分別など生活に直結するものが重要と考えて、

それらのことも訴えていた新人の渡具知氏に投票した。

その考えの名護市民が多かったことが、

基地移設反対が政策の最優先になっていた

稲嶺氏が落選したもっともな理由だと思うんですよね。

名護市民にとって基地反対が最優先されるなら、

それを一番力強く訴えていた現職の稲嶺氏が当選していたことでしょう。

でも、そうならなかったのは基地問題をはぐらかしたのではなく、

基地問題以外のことも考えて積極的に取り上げたほうが勝ったということでしょう。

敗因の分析をするなら、そこをちゃんと見なきゃいけないと思うんですよ。

それと、この結果を受けて、基地反対派や稲嶺氏支援者や応援団の左派系が

揃いも揃って手のひらを返し「民度が低い」や「金になびいた」と

侮辱しているツイートを数多く見かけましたが、

反政府運動のために自分達を利用しようと擦り寄っているところも

名護市民の多くから見抜かれて辟易されていたんじゃないかと思うわけです。

【記者の視点】名護市長選 敗者は日本の民主主義(沖縄タイムス 2018.02.05)
自由党・小沢一郎代表「沖縄の民意を踏みにじる安倍晋三政権を一日も早く終わらせる」(産経新聞 2018.02.05)

自分の思い通りにならないと「民主主義の敗北」や「民意がー」というのも見飽きました。







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