NHK 「障害者を感動話に」方程式批判(毎日新聞 2016.08.28)NHKのEテレの情報バラエティー番組「バリバラ」で28日夜、「検証!『障害者×感動』の方程式」と題した生放送があった。「清く正しい障害者」が頑張る姿を感動の対象にすることを「感動ポルノ」と表現し、「感動は差別だ」との障害者の声を伝えた。同時間帯は日本テレビ系で障害者の姿を伝えるチャリティー番組「24時間テレビ」が放送中だった。 番組では、自身も障害者で「感動ポルノ」の言葉で問題提起した豪州のジャーナリスト兼コメディアン、故ステラ・ヤングさんの「障害は体や病気よりも、私たちを特別視してモノ扱いする社会の方」との発言を紹介した。 出演者は「笑いは地球を救う」と書かれたそろいのTシャツ姿。難病の大橋グレース愛喜恵さんを主人公にした模擬ドキュメンタリーも流した。生活の大変さや障害者になった衝撃、明るく前向きな姿を強調。本人の実感や意思を無視して「感動ポルノ」に仕立てられるさまを示した。大橋さんは今回の24時間テレビにも出演した。 「障害者の感動的な番組をどう思うか?」と健常者と障害者100人ずつに聞いた調査では、「好き」は健常者が45人に対し、障害者は10人。健常者の好きの理由は「勇気がもらえる」「自分の幸せが改めて分かる」など、障害者は「取り上げてもらえるなら、感動話でも仕方ない」だった。英BBCが障害者を英雄や被害者として描くことが侮辱につながるとしたガイドラインを20年前に策定したことも紹介した。 出演した脳性まひの玉木幸則さんは番組内で「(障害者と健常者が)同じ人間として怒ったり笑ったり、思いを重ねることがホンマの感動。一方的な感動の押しつけは差別だ」と話した。 「バリバラ」は「バリアフリー・バラエティー」の略。2012年に始まり、障害者の性や結婚、高齢化などを当事者らが本音で語る場を提供してきた。「笑い」の要素も大きく、障害をネタにする当事者も出場する、お笑いコンテスト「SHOW−1グランプリ」も開催。今春からは障害者のほか性的マイノリティーなどに対象を広げ、生きづらさを抱える当事者の声を伝えている。『バリバラ』は障害者自らが障害をネタにしたお笑い芸人を出したり、障害者の性に関する話題など常にタブーに挑んでいる番組ですが、障害者=感動で売る24時間テレビってどうなのよ?って24時間テレビ放送中に生放送でやることに予告の時から楽しみにしていたのですが、24の地球マークから始まり全員が黄色いTシャツ姿で、ラストにはサライで締めくくるという24時間テレビのパロディのようであり、番組内容は攻める姿勢で障害者から見ても「よくぞ言ってくれました」で拍手を送りたくなりました。NHKが過去に伝えてきた障害者番組に触れつつ、はたしてこのような伝え方や向き合い方でよかったのかと反省にはじまり、障害者を見て感動することを“感動ポルノ”として批判した障害者コメディアンのステラ・ヤングさんの講演を紹介しつつ、(番組でも紹介されたステラ・ヤングさんの講演の記事です。)障害者は「感動ポルノ」として健常者に消費される–難病を患うコメディアンが語った、”本当の障害”とは 障害者は健常者を感動させるための道具ではない、障害者を見て感動するのは無意識の差別からくる危険なものと言い切り、「本当の壁は病気ではなく社会」と訴えていました。アンケートとして健常者と障害者それぞれ100人に聞いた障害者の感動番組をどう思うかについての回答は、健常者の好き嫌いはほぼ半々だったのに対して、障害者は嫌いなほうが90%にもなりました。理由は「自分は健常者の感動のために生きているのではない」や「健常者が前向きになる発奮材料にされたくない」などでした。確かにネットの反応を見ていましても障害者が24時間テレビを否定批判する声は多いです。募金の成果は否定や効果は否定できませんが、毎年続けている割にバリアフリーがぜんぜん進んでいないのだから、そろそろ番組の内容を検証して変えてみたらという声が多いようです。私自身は障害者は健常者の感動の道具でも発奮材料でもないと思っていますが、障害者が何かに取り組んでいるのを見て感動することは個人の勝手で否定できるものではありません。ただ、24時間テレビでは障害者の子供に無理やり過酷なことを挑戦させて感動を作ろうとしたり感動を演出するのは感動の押し売り押し付けで、本来の障害者像からかけ離れているので何か違うと毎年のように思っています。イギリスでは障害者を使った感動番組に対して障害者たちがテレビ局前で抗議デモをしてから障害者に対する考え方扱い方が変わったり、20年前にイギリスメディアが障害者を紹介する時のガイドラインが取り決められたことも紹介されました。今回のバリバラでも言っていていましたが、感動ポルノは障害者だけに限らず健常者でも例えば貧困や母子家庭や震災被害者などでも成り立つという話しですが、先週、NHKの番組からネット上で無知な人達による貧困女子高生叩きが発生してしまったのですが、伝え方ひとつによって製作者側の予期せぬバッシングが始まってしまう場合もあるので、感動や健気を扱うことの危険性も考慮して伝える側のメディアは慎重になってスポットを当てる当事者の人権に配慮しちゃんとしたものを作らないといけません。感動ポルノに関して言えばテレビの取り扱い方以外にも障害者の書道家や画家とか芸術に関して障害を前面に押し出して個展などをしている場合を多々見かけますが、もし障害がなければその人の作品は同じように評価されていたのだろうかとか思うことがしばしばあります。作品の評価より障害がある事が評価になっている場合もあるんじゃないかと。また、某五体不満足の人とか感動ポルノを利用することで生活できている障害者がいることも確かなわけで、自発的にそれに乗っかている障害者なのかメディアが感動を押し付けようとするかの線引きや見極めも大事です。今回のバリバラのテーマを見て思ったのは、障害者が本音を表立ったテレビで語れるまでにようやく来たのかもしれません。24時間テレビは昭和の頃に比べてバラエティ色が強まっていながらクレームを恐れて、NHKバリバラのお笑い回みたいに自虐ギャグ連発の障害者お笑い芸人も出さない。それをせずにバリアフリーだのなんだのと言われても、それが返って白々しいと障害者の目から見ても感じます。日テレも毎年毎年感動の押し売りを演出しないで、そろそろ視点を少し変えて新しい24時間テレビを作ってほしいです。ところで、マスメディアも国民も感動ポルノの消費が好きなわりに障害者が頑張る感動的なパラリンピックにはほとんど見向きもしないのは、なぜなんでしょうか不思議で仕方ありません。特にテレビメディアは感動ポルノとして障害者のドラマを作ってきたのに、パラリンピックに関しては積極的に取り上げようとはしません。不思議で仕方ありません。