<新国立競技場>文科相「ずさんだったことになる」(毎日新聞 7月10日)◇ほかの閣僚から「デザイン決まったのは民主党政権時代」 下村博文・文部科学相は10日、閣議後の記者会見で、新国立競技場の計画について「(当初予定した総工費の)1300億円がデザインする人に伝わっていたか。値段は値段、デザインはデザインということならば、ずさんだったことになる」と述べ、2012年の国際公募や選考の過程を検証する考えを示した。ほかの閣僚からも「デザインが決まったのは民主党政権時代」と、総工費膨張の原因を民主党に責任転嫁するような発言が相次いだ。実施計画で了承された建築家ザハ・ハディド氏の案は開閉式屋根を支える2本の巨大な弓状の構造物(キールアーチ)が特徴で、総工費をつり上げた。下村氏はハディド氏がデザインする際、当初予定していた総工費を「どの程度認識していたのか」と疑問を呈した。 安倍晋三首相は10日の衆院平和安全法制特別委員会で「民主党政権時にザハ案でいくと決まったが、その後、検討を重ねる中で費用がかさんだ」と答弁。麻生太郎副総理兼財務相は会見で「建設費用が決まった経緯がよく分からない。(12年当時の)野田内閣に聞いてください。政権交代のときに渡されただけで、我々は額も知らされていなかった」と述べた。当初の予定より予算が上乗して建設費に2500億円かかってしまい1000億円ほど足らないとかザハ案で建築すると開催日までに完成が間に合いそうも無いという話が出ていますが、オリンピックは競技がメインであってスタジアムを見せびらかすためのものではないのですから、確かにずさんに決めた民主党にも責任がありますけど責任転嫁してないで見直すべきだと思うんですけどね。国民一丸となって成功に導かなければいけないのに、多くの国民から早くもブーイングが出てしまっているのは本末転倒でしょう。◆同時投稿 安保法案反対デモの笑劇 池田 信夫(アゴラ 7月11日)毎日新聞によれば、安保法案に反対する国会前集会に1万5000人以上(主催者発表)が集まったそうだ。主催者発表で1.5万人ということは、実際にはその1割ぐらいだろう。彼らがモデルとしている60年安保の反対運動は、こんなちゃちなものではなかった。1960年6月には社会党・総評の国民会議の統一行動に560万人が参加して国鉄が運休し、ほとんどゼネストの状態になった。国会デモのピークとなった6月15日には33万人(主催者発表)のデモ隊が国会を包囲し、樺美智子が圧死した。岸信介は、このときの心境をこうのべている。樺美智子の死亡事件によって私は最後の決断をしたんです。反対派のデモによって盟邦の大統領に危害が加えられるとか、アイク[アイゼンハワー米大統領]を迎える天皇陛下に何かあったということになれば、総理大臣として本当に死んでも償いがつかないということで、アイク訪日の断念を決意したわけです。デモ隊が国会構内まで乱入したのは、GHQが警察の予算を削減し、警備力が落ちていたためだった。この状態で米大統領を迎えると不測の事態が起こりかねないと考えて岸はアイク訪日を断り、6月19日に新安保条約が自然成立したあと、岸内閣は総辞職した。だから岸は安保改正の責任をとったのではなく、これ以上の混乱を回避するために退陣したのだ。彼は「安保改正を有効に成立せしめるのは、日本で俺一人しかいないんだと、殺されようが何されようが、これをやることが日本のために絶対必要であると思っていました」と語っている。おとといのEconomist誌の会議で、岸が安保改正について「50年たったらわかってもらえる」と語ったという安倍首相の話が心に残った。もしあのとき彼が改正しなければ、アメリカは日本国内のどこにでも基地を置けるが日本を防衛する義務を負わない不平等条約がそのまま続き、集団的自衛権どころか個別的自衛権も危うかっただろう。マルクスは「歴史は繰り返す。一度目は悲劇として、二度目は笑劇として」と書いた。60年安保のデモは岸政権に衝撃を与えたが、今回の国会デモは笑劇にもならない。かつて安保で挫折した青年は企業戦士となって高度成長を支えたが、今の笑劇を演じている学生の将来に待っているのは、フリーターの未来と、年金ももらえない貧困の老後である。 朝日新聞や毎日新聞やTBSにテレビ朝日などが共産党青年部民青のSEALDsが主催のデモを連日のように若者が参加のデモなんてやっていますが、今日も今日とて安保法案反対デモで「私たちは戦わない」のプラカード持って行進していたんですけど、戦わないなら家に居ればいいんじゃないかと思うわけです。私たちは戦わないと言いながら阻止するために抵抗してるんだからすでに戦っていますし、それに「私たちは戦わない」って実際に紛争になったら反対、反対ドドンガドンドンと蛸踊りしてデモしている人たちが紛争地に召集されるわけもないし…ほんと意味がわかりません。