集団自衛権の限定容認、閣議決定案で自公合意(読売新聞 7月1日)自民、公明両党は1日午前、国会内で「安全保障法制整備に関する与党協議会」(座長・高村正彦自民党副総裁)を開き、集団的自衛権行使を限定的に容認する新たな憲法解釈の閣議決定案について正式合意した。 これを受け、両党は党内の了承手続きに入った。午後の与党党首会談を経て、政府は夕方に臨時閣議を開き、安全保障法制に関する新たな政府見解を決定する。 与党協議会では政府が示した閣議決定案について、異論なく了承された。高村氏は協議会後、「国際法的には集団的自衛権であっても、我が国民を守る集団的自衛権しか行使できないと(閣議決定案に)はっきり書かれている。極めて厳しい縛りが入っている」と語り、武力行使の「歯止め」は十分だと強調した。 自民党は与党協議会に続き、党本部で外交・安全保障関係の合同部会や総務会を開き、閣議決定案について議論。一部異論も出たが、最終的には了承した。公明党も午後の中央幹事会で了承を取り付け、党内手続きを終える運びだ。 閣議決定案は「国の存立を全うし、国民を守るための切れ目のない安全保障法制の整備について」と題し、集団的自衛権を容認する憲法上の根拠や今後の法整備の方向性を打ち出した。集団的自衛権の行使容認=憲法解釈変更を閣議決定―安保政策、歴史的転換(時事通信 7月1日)政府は1日午後、首相官邸で臨時閣議を開き、集団的自衛権の行使を容認するための憲法解釈変更を決定した。自衛隊の海外での武力行使に道を開くもので、「専守防衛」を堅持してきた戦後日本の安全保障政策は歴史的転換点を迎えた。憲法改正によらず、権利を保有していても行使できないとしてきた従来の政府解釈と正反対の結論を導き出した手法も含め、安倍政権は説明責任を問われる。 安倍晋三首相は閣議後、記者会見に臨み、行使容認により日米同盟関係が強化され、抑止力が向上するとの立場を訴え、国民に理解を求める。中国の海洋進出といった東アジアの安全保障環境の変化に触れるとともに、自衛隊法改正など関連法整備の進め方も説明する見通しだ。 閣議決定の核心は、自衛権発動の要件緩和だ。従来は「わが国に対する急迫不正の侵害の発生」としてきたが、「わが国と密接な関係にある他国に対する武力攻撃」であっても、国民の権利が「根底から覆される明白な危険がある場合」は自衛権を発動できると改めた。他に適当な手段がないことと、必要最小限度の実力行使にとどめることとした要件は維持した。 自衛権発動の根拠は、憲法が前文に「国民の平和的生存権」、13条に「生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利」を定めたことに求めた。これらを踏まえ、「9条が、わが国が自国の平和と安全を維持し、その存立を全うするために必要な自衛の措置を取ることを禁じているとは到底解されない」との見解を打ち出し、1972年に示した政府見解の「自衛措置は必要最小限度の範囲内」との整合性は保っていると主張した。 集団的自衛権の解釈改憲が閣議決定しました。閣議決定しただけでこれから国会提出、委員会審議、本会議などを経て成立するので、成立まではまだ先の話しで、お左翼様が言うような「すぐに戦争が」とするのは間違いです。私は集団的自衛権には賛成なのですが、ルール違反とも言えるような解釈改憲で強引に進めてしまうことにはいささか違和感が残ります。強引な解釈で憲法を捻じ曲げると、この先、他の政党によって憲法を解釈改憲される前例を作ってしまったのですから、そういった悪しきものが今後現れないようにするためにも正当な改憲手続きで進めてほしかったと思います。まあ、憲法9条に照らせば自衛隊の存在だって解釈論によって存在しているので、解釈改憲すら何を今さらと思いもしないではありますが、このような解釈改憲という歪な流れになってしまったのもけっきょくは左翼の責任なのですよね。時代の変化に何も合わせず60年間以上引きこもり状態を続けようとしたのですから。むしろ、左翼は自衛隊の戦力を拒否するのであれば、巨大な軍事組織である自衛隊を憲法の中に明文化して、完全に武力を放棄するなど逆にガチガチにコントロールする機会を放棄してきたといえます。そして、真面目に反論する気が無いのか知識が無いのか知りませんが、現実的な反対論がほとんどなく「みんな死ぬ」とか「徴兵制が来る」とか無知な人の感情に不安を煽るだけの極論に走り説得力がないものしか出てこないことが、それがかえって稚拙なままで解釈改憲が進むのに都合がよい状況を与えてしまったと思え、これは、けっきょく護憲派や左翼の敗北とすら言えるのではないでしょうか。最後にもう一度書きますが、現代の外交情勢を見れば安全保障の点においても集団的自衛権には賛成なんですが、憲法が強引な解釈によって歪な状態で進むのも問題ありなので、ここから憲法改正して改憲への道へ進むという正当性に繋げて行ってほしいと願います。