だるまの目入れは差別か 選挙事務所からだるま撤去も(アメーバーニュース 12月10日)12月16日投開票の衆院選がいよいよ中盤〜後半となったが、テレビやラジオの政見放送、掲示板へのポスター貼り、駅前での辻立ち演説、選挙カーでの名前連呼などが実を結び、当選した時に行われるのが、万歳三唱とだるまへの目入れ。しかし、このだるまの目入れが減りつつあることをご存知だろうか。 選挙の際に、だるまの目入れが行われるようになった経緯は不明だが、だるまの生産地として名高い群馬県の「群馬県達磨製造協同組合」によれば、だるまの目入れは「昔は、中心から外にむかって丸く、カッと大きく開いた眼を点睛してお渡ししていましたが、近世になって願をかけるお客さま自らが点睛をするようになりました」とのこと。選挙の一風景として、当選議員がだるまに目を入れる姿を思い出す人も多いだろう。 しかし、2003年の春の統一地方選時に、視覚障害者団体から「ダルマに目を入れて選挙の勝利を祝う風習は、両目があって完全、という偏見意識を育てることにつながりかねない」(民主党HPより)という要請が入り、にわかに問題化。 それ以来選挙事務所にダルマを置く従来の選挙戦スタイルが急速に変化し、だるまの目入れを“してしまった”某参議院議員のHPには、今も「当選後にダルマの目入れを行いました。目の不自由な方への配慮が足らなかったと反省しています」(一部抜粋・改変)といった文言が残されている。 11月16日付の読売新聞は「当選呼び込む?必勝だるま作り大わらわ…高崎」という記事を掲載し、今も「選挙=だるま」には変化がない旨を伝えているが、12月9日付の毎日新聞は、兵庫県内で出馬した50人の選挙事務所を調べた結果として「ダルマを用意する陣営は1桁程度。『障害者に不快感を与えかねない』などと控える陣営が増えているようだ」と報告している。 国民の注目が集まる今回の総選挙だが、12月16日には、選挙速報でだるまに目を入れる光景にお目にかかれるのか?「だるまの目入れは差別か?」で乙武洋匡氏見解述べる(アメーバーニュース 12月11日)12月10日に掲載した「だるまの目入れは差別か 選挙事務所からだるま撤去も」という記事が、スポーツライターの乙武洋匡氏(36)のツイートにより拡散。その後、乙武氏がツイッターで「障害と差別表現」について連続ツイートをしている。 同記事では、選挙の風物詩として知られる「当選者によるだるまの目入れ」が、「ダルマに目を入れて選挙の勝利を祝う風習は、両目があって完全、という偏見意識を育てることにつながりかねない」という要請が民主党に対し、視覚障害者団体から寄せられたことから問題化したと説明。 乙武氏は『五体不満足』の著者として知られるが、その立場からこうツイートする。“だるまに目を入れるという風習が差別や偏見に当たってしまうというのなら、世の中の多くのことがグレーゾーンになる。最近では、「ブラインドタッチ」「目が節穴」という言葉さえ使ってはならないのだとか” そして、こう続ける。“これを視覚障害ではなく、身体障害にあてはめると、えらいことになる。「手を焼く」「手に負えない」「足を運ぶ」「足並みをそろえる」――手や足を使った慣用句は、枚挙にいとまがない。手足のない僕が、これらの言葉を「差別だ」と騒ぎたてたなら、こうした表現も使えないということになる” 乙武氏はこのように、何でもかんでも配慮すれば良い、と考えることに疑問を抱いているものの、「だるまの目入れ」を差別だと感じる人の気持ちも理解している。それは、幼少期にいじめに遭ったり親に受け入れられなかった人は乙武氏のように障害のことを笑い飛ばせない、ということである。 今回の件で乙武氏は11のツイートをしているが、最後は「以上、エロだるまがお送りしました」と締めている。例えば、『ウルトラセブン』第12話「遊星より愛を込めて」に登場する宇宙人が、「ひばく宇宙人・スペル星人」と名称が着いていたことによって、被爆者を差別する話でもないし反核のメッセージのある物語であったにも関わらず、被爆者を宇宙人にするのは被爆者への差別に繋がるという理由で、12話を見たことも無いし被爆者でも無い普通の家族が新聞に投書したため、ひばく宇宙人の名前だけが独り歩きして円谷プロはメディアからバッシングを受けて、第12話は放送禁止の永久欠番になってしまったり、絵本『ちび黒サンボ』も黒人差別に繋がると、黒人でもない日本人の家族が出版差し止め運動をしたために、しばらく廃刊になっていたことがありましたが、ダルマなら、多くの人はダルマという置物として見ているだけで、視覚障害者を連想しちゃう人なんて居ないでしょうし、『ちび黒サンボ』を読んでいた20歳以上の年代の世代は、『ちび黒サンボ』は楽しい絵本として読んでいたり、読み終わればホットケーキが食べたくなる気分になっただけで、黒人を差別している気持ちで読んでいたわけではありませんでした。むしろ「これは差別です」と抗議したことによって、それまでは何も思わずに接していた人にも、ダルマや『ちび黒サンボ』に対して、これは「差別」なんだと意識させてしまうことを植付けてしまい、それが逆に差別意識を助長することにも繋がってしまっているんじゃないかという気さえします。他にも、障害者の「害」をひらがなにしている役所やメディアが増えていますし、以前、鳩山由紀夫が総理時代に「障害者だとイメージが悪いので呼び方を外国の真似して『チャレンジド』に変えよう」と言っていたことがありましたが、私は生まれつき心臓の悪い障害者なのですが、「害」の文字が使われていても別に気になりませんし、障害者に対する理解を深めることに対して、字を変えるとか呼び方を変えるとかそこじゃないだろ、もっと違う方法があるだろって思うわけで、別にほとんどの人がなんとも思っていない物に対して、「差別だ」と最初に言い出した人こそが、実は偏見の持ち主だったり、何かにつけ差別だの偏見だのと難癖をつけて言っている人が出てくることで、差別や偏見をさらに助長したり、マイノリティの中の一部の人が騒ぐことにより、一部の人から「飯の種が欲しいから騒いでいるんだろう」という謂れの無い中傷を受けて、マイノリティ全体の印象を悪くしたりしているというのも事実で、障害者団体やマイノリティへの理解や権利向上運動を実行している団体が過剰に反応するあまりに、それまでには意識してこなかった差別の目というか、障害者に対して腫れものに触るように扱う意識が新たに生まれることもあるということに気がついてほしいと思います。