『24時間テレビ愛は地球を救う』は、こういう金の匂いしかしないあざとく偽善的なものを毎年楽しみにしている人ってどれくらい居るのかも分らないし、どの層に需要があるのかサッパリわからない番組の1つです。「やらない善より、やる偽善」という言葉があって、まあ、偽善でもやった方がいいとは思いますが、偽善でも限度と言うかやりかたというものがあるのではないでしょうか。http://twitter.com/h_ototake/status/238876476798283776本当にそう思いますね。私も含めて障害者の人ほど、感動の押し売りみたいな、これで泣かない奴はおかしい的な、あんなお涙ちょうだい番組ごときを年に1回放送するだけで、「障害者理解」が進むとはこれっぽっちも思っていないことでしょう。NHKのEテレが制作し毎週放送している『バリバラ』などの障害者番組の方が、障害者の本音などを隠すことなく放送しているので、こちらのほうが障害者理解を進める上に置いても良質な番組です。「障害者に理解を」なんて言うなら、健常者のお笑い芸人以外にも、障害者芸人のホーキング青山さんや脳性マヒブラザーズさんなどの最近増えつつある障害者芸人による毒のあるお笑いのコーナーをやるぐらいじゃないとダメですが、障害者を感動を与える対象のみで捉えている番組作りも偽善ですよね。そして、毎年24時間テレビを放映して「障害者に理解を」とか「障害者を応援しよう」と言いつつ、日テレはパラリンピックを生中継で放送したことがありません。なぜか、理由は簡単明瞭でスポンサーからお金を頂くための視聴率が取れないからです。この番組がチャリティーの意味からかけ離れていると思うのは、チャリティーを謳いながらも、番組の製作費と出演しているタレントや歌手のギャラを合わせれば、集まる募金額よりも数倍も多く(一説には製作費40億円とも言われています)、自分達はギャラを貰いながら視聴者には寄付を募るという滑稽さもさることながら、(ホント、タレントたちのギャラで子供たちのワクチンが何本買えるのでしょうか。 そういや、集まる寄付金より費用の方が金がかかるという点で、 寄付より製作費の方が多い24時間テレビと ペットボトルのキャップを入れる箱を数千円で買い、 その箱にキャップを6キロ集めると60円が貧困国に寄付されるという エコキャップ運動と似ていますね。)意味不明なタレントによる24時間マラソンです。最初に走った間寛平さんは、阪神大震災で自分も被災したこともあり、被災者を励ましたいと自分から番組にアプローチしてマラソンをすることになり、これは意味のあるマラソンだったと思うのですが、それ以降は視聴者の興味をそそらせ番組を繋ぐだけの一つの企画になってしまっただけで、高額のギャラを貰って走っている本人以外は意義のあるものだと思えません。それでもゴール近くになると視聴率が30%以上に跳ね上がるということは、多くの人がゴールできるか気にしてチャンネルを変えるわけですが、視聴率上昇=広告収入のアップに繋がるので、日テレは、このマラソン企画を止められないのでしょう。チャリティと無関係の24時間マラソンが、番組恒例の中核イベントになってしまっているのは、どう考えても、まずは驚かせる人選によって宣伝を兼ねた話題づくりと、視聴者の興味を引きつけ安定した視聴率とラストの瞬間最大視聴率の確保や、番組の最後を締めくくるための盛り上がりに貢献してくれるから、放送局とスポンサーのための企画を組み込んでいるわけです。ですから、間寛平さん以降の歴代ランナーは、テレビ局の視聴率と広告収入と自らの高額のギャラのために無慈悲なほどに暑い炎天下の中を走っていることになります。それを見て感動するのは個人の勝手ですが、そういう局やスポンサーや走るタレントの思惑が幾重にも絡み、番組終了間近にゴールできるよう時間調整をしているマラソン、言ってしまえば“ヤラセ”っぽいものに感動しちゃう人って、純粋なんだなぁと思ってしまいますし、タレントのマラソンにしろ、本人がやりたいと志願したわけでもないのに、障害者に無理矢理山登りや泳いで島を渡る系な過酷なチャレンジをさせる企画にしろ、それを見て感動するのって、ある意味で残酷な人達だとさえ思います。チャリティーを行いながらも、募金以上の高額のギャラや制作費が発生していることを視聴者は気づいていても尚、つい見てしまうというのも、この番組が年々チャリティーの趣旨からかけ離れて、番組がスタートした頃に比べて、安っぽくなっている原因なのではないでしょうか。