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2011年05月16日(月) 菅直人の対応で被害は悪化するばかり

メルトダウンは3月11日…初動の遅れ裏付け(読売新聞 5月15日)

東京電力は15日、福島第一原子力発電所1号機で起きた
「メルトダウン(炉心溶融)」は最近起きたものではなく、
同原発が津波に襲われた約4時間後の3月11日夜に始まったとする分析結果を公表した。

 東電が注水を開始したのは、炉心溶融が始まってから10時間以上後の翌12日朝で、
事故に対する東電の初動が遅れたことがデータからも裏付けられた。

 東電は、中央制御室で地震直後から記録されたデータなどを基に、
津波が襲来した3月11日午後3時30分頃から原子炉の冷却機能が働かなかったと仮定し、
原子炉の炉心温度や水位を推定した。
その結果、当初約300度だった炉心温度は、11日午後6時過ぎから急上昇し始めた。
それに伴って、燃料最上部から約5メートル上にあった原子炉の水位も、
津波から約4時間後の11日午後7時30分頃に約10メートル低下し、全燃料が水面から露出。
同7時50分頃には、燃料が圧力容器の底に落下し始め、炉心溶融が始まった。

 11日午後9時には、炉心温度が燃料(ペレット)自体が溶け始める2800度に達し、
注水開始直後の12日午前6時には何らかの理由で圧力容器に穴が開き、水位が急落した。
津波襲来から約15時間20分後の12日午前6時50分には、
核燃料の大半が原子炉圧力容器底部に崩落した状態になった。


福島第1原発:空だき状態10時間以上 燃料の溶融速く(毎日新聞 5月15日)

東京電力福島第1原発1号機で、地震からわずか16時間後の3月12日早朝には、
燃料の大部分が溶け落ちていた可能性が強まった。
東電の解析によると、燃料の溶融は従来考えられていた以上の速度で進行。
外部から冷却水を入れるため、弁を開いて炉内の圧力を下げる「ベント」作業を始めた時には、
炉内は既に水位が燃料の下端を下回る「空だき」状態で、燃料の大部分が溶融していたことになる。
今後、ベントの作業や外からの注水のタイミングが適切だったかが問われることになりそうだ。

東電のこれまでの発表では、福島第1原発で原子炉が空だき状態になったのは2号機(14日)が最初。
1号機は空だきになっていたことすら公表されていなかった。
今回の解析結果が正しければ、1号機の空だき状態は11日午後7時半ごろから、
淡水の注入開始(12日午前5時50分ごろ)まで10時間以上続き、
ベント開始はさらに5時間近く後になってからだったことになる。

 小出裕章・京都大原子炉実験所助教は「電源喪失で原子炉が冷やせなくなれば、
早い時期に炉心溶融に至ることは想定できていたはずだ。
燃料の損傷が限定的だとしてきた東電の説明は完全に誤っていたことになる。
データの公表も遅すぎる」と指摘する。

 東電は今回の解析で「圧力容器の損傷は大規模ではない」と説明するが、
小出助教は「圧力容器は完全に破損し、溶けた燃料が格納容器の底に穴を開け、
原子炉建屋の地下に大量の汚染水が漏れ出す原因になっている」と推定する。

 吉川栄和・京都大名誉教授(原子炉安全工学)も
「溶融した燃料の一部は格納容器に落ちているだろう」と指摘、東電の解析に否定的な見解を示した。
さらに「燃料は格納容器のクラック(損傷部)から水と一緒に漏れている可能性もある」と述べ、
地震の揺れや炉心溶融、水素爆発などさまざまな原因で格納容器が損傷している可能性を指摘した。

 工程表への影響について吉川名誉教授は「初めに描いた絵と状況が異なり、
収束までの時期は確実に延びるだろう。むき出しの燃料の回収は相当困難な作業になる。
廃炉の工程にたどり着くのも難航するだろう」と厳しい見通しを示した。



3月12日の午後2時の会見で、メルトダウンの可能性をいち早く指摘した

保安院の中村審議官を菅首相が更迭しましたが、

中村審議官の指摘が正しかったことが証明されました。

節電大臣蓮舫氏 計画停電に「初めての事なので」とパニック(NEWSポストセブン 3月20日)

地震発生から菅政権は混乱の度合いを深めていった。
地震発生翌日の3月12日夜、原発より先に暴発したのは、菅直人首相だった。

 その日、経済産業省原子力安全・保安院の中村幸一郎・審議官が、
「(1号機の)炉心の中の燃料が溶けているとみてよい」と記者会見で明らかにした。
ところが、菅首相は審議官の“更迭”を命じた。

「菅首相と枝野官房長官は、中村審議官が国民に不安を与えたと問題視し、
もう会見させるなといってきた」(経産省幹部)



さて、今日の予算委員会で、このような答弁がありました。

菅首相 格納容器破損の可能性を認識…震災翌日の視察前に(スポニチ 5月16日)

菅直人首相は16日の衆院予算委員会で、
東日本大震災発生翌日の3月12日に福島第1原発を視察したことをめぐり、
格納容器破損の可能性があることを知った上で、あえて実施したことを明らかにした。
「放置すれば格納容器にひび割れが起こりえた。
だからこそ(視察前に蒸気を排出する)ベントが必要だと言った」と述べた。

 視察に同行した原子力安全委員会の班目春樹委員長も
「格納容器が破裂する可能性があることは認識していたし、(首相に)助言した」と答弁した。


後日、福島の被災地訪問を雨が降っていて被曝が怖いから中止した

ビビりの菅首相が格納容器破裂の可能性を認識しておきながら、

防護服もなしに福島第1原発を視察するでしょうか。

また、震災の対応にも当たらなければいけない国家のトップを

そのような危険な場所へ行かせるでしょうか。

これらの点を考えても、本当に視察前から認識していたとは思えません。

問題は、いつ事態を把握したかです。

中村審議官更迭後からしばらくして政府と東電は、

本当にメルトダウンしていたことを把握したのではないでしょうか。

しかし、自らで中村審議官を更迭しておきながら、

「すでにメルトダウンしていました」と公表すれば、

菅首相の更迭判断や、これでまでの原発への対応が間違いということになるから、

これまでの民主党政権の政治が嘘と隠蔽の多さからいって、

2ヶ月が経過してから公表したのだと考えられます。

原発の対応について議事録をまったく取って残していないのも、

こういう時を見こしての行動なのでしょう。

メルトダウンを知っていたからこそ、

枝野氏や岡田氏が福島入りした際の格好が周囲の人と違って、

防護服・マスク・ゴーグルと完全フル装備だったのではないでしょうか。

本来であれば、こういった大きな不測の事態が発生した時は、

常に最悪の事態や結果も考えて最善の対応を行うべきなのですが、

本当のことを言った中村審議官の更迭や、

アメリカとフランスの支援も当初は断っていたことなどを含め、

政府と東電は事故処理の対応を甘く考えていた結果、

事故処理が改善もせず悪影響を与え続けたのは間違いなく、

水素爆発によって放射性物質の拡散を防げなかったことや、

非常事態宣言も出さず、

情報を隠蔽し判断基準も与えず、

自衛隊にヘリによる給水作業を行わせたり、

地域の住民を安全だと足止めし速やかに避難させず多くの人を被曝させた

民主党政権と東電の責任は歴史的な大罪と呼べるほど重いです。











名塚元哉 |←ホームページ