今、八百長みたいな出来レースの規制仕訳が行われていますが、薬のネット販売の討論中に、蓮舫氏が「対面販売がネット販売より薬害が起きにくいというエビデンスを示してください」と言っているのをニュースで見ました。 エビデンスは日本語にすると「根拠」または「科学的根拠」なのですが、いちいち、そこだけカタカナ語にしなくても、根拠って言えばいいじゃんと思いませんか。1人暮らしをして自由を謳歌している元気な95歳の祖母は、国会中継や討論番組、ニュースを見るのが好きなのですが、政治家や大学教授や識者などがカタカナ語を使うと、我が家に電話をかけて、例えば「さっきコンプライアンスという言葉を聞いたけど、どういう意味」と質問してきます。私でも知っている言葉ならすぐに答えられるのですが、たまに知らない言葉があるとネット検索しなければいけません。また、祖母も歳ですので微妙に聞き間違えていることもあって、その時は検索しても出てこないので頭の中で、何を聞きたかったのかを推理しなければいけません。聞いた言葉は必ずノートにつけていて、テレビでカタカナ語を聞くたびに、まずノートを見て以前に質問した言葉かどうかを確認してから電話してくるので、95歳になっても勉強熱心な祖母に感心する一方、カタカナ語を多用する政治家や大学教授なんか、自分が意味を理解しているからといってテレビを見ている人すべてが、そのカタカナ語の意味を知っているわけじゃないぞ、日本語で通じるものは日本語で言えよ!と思っちゃいます。討論をしていると、つい目の前の人とだけ対話している感覚になりがちですが、テレビカメラが入る以上は、不特定多数が見ているわけですから、分かりやすい表現を心がけてほしいとものですし、話を聞いている討論相手だって、カタカナ語の意味を聞き返すと、そんなことも知らないと?思われそうなので恥をかきたくないと、意味を聞けないで知っている風に相槌を打つだけで、その言葉の意味を知らないことだってあり得るかもしれません。私も、祖母のことがきっかけとなって、この日記では、できるだけカタカナ語を使わないよう心がけているのですが、心理学者によると、カタカナ語を多用する人は、自分は、こんな難しい言葉を知っているぞとカッコよく見せたい不親切で独りよがりな小心者なんだそうです。あと、外人からすると、会話の中で「プライオリティー」などカタカナ語が出てくると、「なんで、そこだけ英語やねん」と滑稽に感じるそうです。