今朝、フジテレビ系列『ボクらの時代』にて、水木しげる先生と奥様の布枝さん、そして、水木先生の弟子である荒俣宏さんの鼎談が放映されました。朝から、水木先生のとぼけたトークは癒されますねぇ。水木先生は幸福学会という学会(会員は水木先生ひとり)を作り、幸福について研究されているのですが、「幸せという価値は人それぞれあるが、 現代人はその価値が高すぎるように思える。」と申されておりました。「結局、毎日の平凡な生活が幸福。 毎日の生活にないものを求める必要がないから、幸福の値段を下げればいい。 高いと幸福を感じない。 幸福の設定が高すぎるから、不幸だとか不幸せだと思うだけ。」“幸せの高さを低くするといい”ということを話を聞いて、ふと考えたのですが、それは、近頃の若者は、旅行に行かない、お酒を飲まない、車を買わない、などなど消費しないことを「若者の○○離れ」と言ってメディアで紹介されていることです。これで人生楽しいのとか幸せなんだろうかとさえ言われることもありますが、「若者の○○離れ」と言っている人は、高度経済成長期やバブルの頃と比較して、消費しないと言っているのだと思います。しかし、私から見れば、バブル世代の方が異常に見えてしまいます。あの頃の若者は、消費こそが幸せ、お金を使うことがカッコイイし楽しいというメディアやメーカやマーケットの戦略に、まんまと乗せられて踊らされていただけにすぎません。だから、今の若者のほうが、欲しいものだけを買い、自分の好きなものにだけお金を使い、有れば便利だけど無くても困らないから買わないと、無理をして見栄を張ることの無意味さ虚しさに気付いているだけなんじゃないでしょうか。だから、以前、誰かのツイッターで見かけた、「今の若者は離れたのではなく、最初から寄り付かないだけ」という言葉は正しいと感じましたし、今の若者の方が、水木先生の言う幸福を感じる設定値をメディアやメーカーに惑わされて、高めたり無理をしたりしないよう節度を持って、自分にとって幸福を感じる分相応の暮らしをしているのではないでしょうか。だから、今の若者の方がバブル期に比べ賢く生きているのではないか、水木先生の言葉から、そういったことを考えました。まあ、でも現在も景気が良ければ、今の若者も消費しまくっているかもしれませんが。