「水木しげる妖怪図鑑」兵庫県立美術館で開幕(産経新聞 7月31日)近くの美術館で、また水木先生の美麗な原画が見れるなんてラッキー。10月3日まで開催されているので、小学校などの夏休みが終わって落ち着いた頃に見に行こうかな。視聴率が平均20%台になった『ゲゲゲの女房』先週は『悪魔くん』が少年マガジンで復活しテレビドラマ化されるという話で、ドラマ放映日の回は涙なくしては観られませんでしたが、今週は、ついに鬼太郎がアニメ化される話です。タイトルも「墓場の鬼太郎」から、皆さんお馴染みの「ゲゲゲの鬼太郎」に変わります。なぜ、タイトルが墓場からゲゲゲに変わったのか、ドラマを楽しみにしつつも、水木先生の歴史をまだ知らない人にはネタバレになるので、内緒にしておきます。ところで、先週、発売された『芸術新潮』8月号 「大特集 水木しげる その美の特質」今年になって、水木特集される雑誌の発売が相次いでいて、すべて購読してますが、当たりと言える内容でした。哲学者の梅原猛さんとの対談は興味深いものでしたし、学生時代に水木先生の資料整理のお手伝いをしてから、水木先生のファンとなり40年以上、親交のある評論家の呉 智英(くれともふさ)氏による水木しげる解説は、さすが40年間も近くで見ていただけに、唸らせます。水木先生の描く妖怪画は芸術性が高く、マンガは読めば読むほど、知れば知るほど、どんなジャンルでも描き上げてしまうキャパシティの広さに驚かされます。手塚治虫先生が「彼がうらやましい。彼は自由に漫画を描いている。」 と、水木先生に物凄いジェラシーを感じていた理由が、ここにあるんじゃないかと最近になって感じました。手塚先生は忙しい合間を縫って他のマンガ家の作品もちゃんと目を通していて、才能のある人間が出てくると、強烈な対抗意識を燃やす性格だったそうです。 そんな手塚先生がライバル視していたマンガ家は意外に数多く、水木先生もその中の一人でした。水木先生がメジャーデビューし、 鬼太郎などがヒットして人気漫画家に上り詰めた時のこと、 ある出版社のパーティーで、 二人が出会ったのですが、手塚先生が自己紹介もそこそこに、水木先生に直接、「あなたの絵は雑で汚いだけだ! 僕だってあなたみたいな妖怪ものぐらい描けるんですよ!」と言われ、水木先生は非常に驚いたという有名なエピソードがあるぐらいです。で、対抗意識を燃やした手塚先生も『どろろ』を描いてみるのですが、 あまりヒットせず「妖怪なら人気が出るんじゃないのか!」 と不思議がったそうです。手塚先生のジェラシーは、水木先生が手を抜いたように簡単に描く人物で、重厚な話をどんどん発表してしまうところや、水木先生のマンガが誰の影響も受けずに、独自の画風を確立していた唯一無二なところにあったのではないでしょうか。そして、一見雑なように見えて、基礎が完成しているからこそ、絵を崩すことができるほど、実は恐ろしいほどに絵が上手いというところにも本当は気づいていたからではないでしょうか。ちなみに、面と向かって「雑で汚い」と言われた水木先生は、パーティーの場では全く言い返すこともなく、手塚先生に言いたいように言わせていましたが、 内心は腹が立っていたようで黙って帰った後、マンガを棺桶に置き換え、棺桶界の頂点を目指し、棺桶業界のライバル達とひと月の生産量を競い、ライバルの倍の仕事量を増やして、徹夜も続けて、常に自分が一番でないと気がすまない一番に執着する棺桶職人という設定で、手塚先生を揶揄する短編『一番病』(1969年)を描き上げるんですね。なんだか、面と向かって「雑で汚い」と言っちゃう手塚先生も、後でこっそりマンガで仕返しする水木先生も、どちらも大人げないですね(笑)現在、一番病が読めるのはこの2冊です。ほかお薦め