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2010年01月17日(日) 阪神淡路大震災から15年目

「犠牲者の分、精いっぱい生きる」=「1・17のつどい」に8000人(時事通信 1月17日)

6434人が犠牲となられた阪神淡路大震災の発生から15年目を迎えました。

不思議なことに毎年のように、

この日だけは午前5時ごろに目が覚めてしまい、

あの日のことを思い出しながら、そのまま5時46分を迎えます。

15年前のあの日、あの時間も、ちょうど目が覚めていました。

目が覚めていたというのは、

当時、飼っていった犬(トーイと同じ犬種)のクッキーに起こされて、

クッキーが布団に潜り込んできた瞬間、

地鳴りとともに小さな揺れから、

上に突き上げられるかのような衝撃があり、

まるで洗濯機の中に放り込まれたかのように

家が回っているような強烈な揺れと、

布団の中で必死にクッキーが飛び出さないように押さえながら、

家がミシミシバキバキという軋む音、

家具が倒れる音、物が落ちてくる音、

地震の揺れは、時間にすると1分にもみたない短い時間でしたが、

その時の揺れた感覚と布団の中で聞いていた音がフラッシュバックして、

なんとも嫌な、そしてまた揺れるんじゃないかという怖い気分になります。

家は半壊となりましたが幸いにも家族は怪我もなく無事でした。

ただ、自分が住んでいる町は壊滅状態となり、

まるで爆撃を受けた後のような、

地獄絵図のような場所を多く目撃し、

絶望的な気分のなかで、3週間ほど避難所生活を余儀なくされました。

ここに書ききれないほど、多くのことが思い出され、

17日は気が重くなってしまうのですが、

こんな私が経験した被災体験より、

当然の事ながら、最愛の肉親を亡くした人々のほうが、

この日を迎える気持ちは比べようも無くつらいものであります。

同じ震度7の揺れを経験したとあっても、

年月が経つにつれ、被災者同士の間で、

経験したつらい体験の大きさにより心の隔たりが拡がてしまうのは、

どうしようもないことではありますが、

震災を経験した人の心には、

今も、これからも、ずっと、

いろんなものを心に背負って生きていかなければなりません。

あれから15年、街は復興して震災の爪痕を感じさせなくなり、

日常の中で、震災のことを思い出したり考える時間が年々と減っている今、

1月17日は、「生きる」ことの意味と、

生かされた者として何を後世に残していけるのか、

そういう大事なものを今一度、考える避けて通れない日となって、

年々、この日を迎える意味の重みが増しているように感じます。

日本は地震大国なのですから、

またいつの日にか何処かの地域で大震災が起こることは確実で、

その時に減災の役に立てるように、

どのようなこと、些細な事であっても伝えていくことが、

生き残った者や被災者を支援した人々の責務ではないかと思っています。

「誰かのために何かができる。」それこそが生きている証なのですから。


あらためて震災で亡くなられた6434名のご冥福をお祈りいたします。











名塚元哉 |←ホームページ