先月、麻生首相が高齢者に対する自分の考え方を述べて、批判の声が上がりましたが、その時の反応をネットや既存メディアで拾っていると、「上から目線」という言葉を使っている方が多く居ました。麻生首相のことに限らず、「上から目線」という言葉を見聞きする機会はこれまでにもありましたが、私は「上から目線」という言葉で批判することが、よく理解できませんでした。なぜなら、年上や役職や地位が上の人からの意見は、人生の経験上において、自分よりも上なことは間違いないのですから、すべて、上からの目線となってしまうのは当然ではないかと思っていたからです。ところが、同年齢や年下からの意見であっても、「あいつは上から目線で言っている」と不満を述べる人もいるので、どうやら「上から目線」は年上や地位が、自分より上位に位置する人だけに使う不満の言葉ではないようです。Yahoo!辞書によると、上から目線の意味は、俗に、人に対して露骨に見下した態度を取ること。また、組織の上の者が下のことを理解しないで考えを押しつけること。とあります。ようするに相手の言葉や意見(その時の態度も含まれる場合も)に対して、自分が賛同できなかったり不快に感じれば、すべて「上から目線」となってしまうようです。ならば「見下している」とか「不愉快だ」とか「納得できない」というストレートな言葉を使えばいいと思ったりもするのですが。ところで、拙日記のタイトルに「あんた何様?」と付いていることで、「上から目線」と批判を頂くことがあります。ただ、このような日記を書いていて、1つだけ気をつけていることがあります。それは「○○だ。」「○○である。」と語尾を締めくくらないようにすることです。不特定多数が見ることを前提としているネット上の文章においては、読者が当然のことながら自分よりも年上か年下のどちらかがほとんどです。そんなウェブ世界において「だ、である調」にしてしまえば、それこそ「上から目線」ではありませんが、あまり上品な文章になっているとも思えず、高圧的と感じる人も居るでしょうし、言い切った感じが一方通行のようで、読者の方々との距離が離れているように感じるからと、新聞の社説ならまだしも、素人の考えを述べているだけで、自分が偉いわけでもなく、自分の主張が絶対だとも思わないからです。